vol.058 中村 絵乃
開発教育協会事務局長 URL:http://www.dear.or.jp/
横浜市出身。
大学卒業後(財)横浜YMCAにて英会話や国際プログラムを担当した後、渡英。
英国ヨーク大学大学院(教育学)でグローバル教育の実践を学び1998年に卒業。
2000年より(特活)開発教育協会・事業担当。
2006年1月より1年間、国際交流基金日米センターのフェローとしてニューヨークのNPOで研修を受ける。
2008年4月より、同会事務局長。
地球的課題を扱う教育(グローバル教育・地球市民教育・開発教育)の実践・研究を行なう。
現在は、研修会等を行いながら、日本における「対立解決教育」の可能性を模索中。
横浜市立大学非常勤講師も兼ねる。
こんにちは!テトル(インターン)の熊坂です。
今号は開発教育協会、中村さんへのインタビュー(第二号)です。
第二号となる今号では、中村さんが開発教育と出会うまで、その必要性といったところをお話しいただきます。
それではお楽しみください。

そもそも開発教育というのはヨーロッパから始まったものです。
第二次世界大戦後、欧州の国々ではNGOが誕生し、ヨーロッパでの復興支援や難民への救援活動を実施し始めます。
60年代になると、これらのNGOは独立したばかりのアジア・アフリカ諸国への支援を開始します。
支援するためには、自分たちの活動を紹介したり、自国の市民にもっと関心を持ってもらおうと、寄付を募ったり、途上国の情報提供をしたのが開発教育の始まりです。
そういう活動をするうちに、「寄付だけ募っていてもだめだ、格差の構造は先進国にも理由がある」と考えるようになります。
南北問題というのは、先進国の貿易のあり方や、開発計画のあり方に問題があったり、そもそもの植民地支配の影響などがありますので。だから一方的に南の国の彼らを救おうというのはおかしいのではないかと。
北に住む先進国の私たちも自分たちの生活を見直したり、貿易の仕方をもう一度考え直さなくては、という動きに変わっていったのです。
そのような動きを受けて日本でも開発教育の活動を紹介しようと、1982年に開発教育協会(当時は開発教育協議会)が発足しました。
国際協力にはもともと興味があって、学生の時に途上国に行ったりもしましたが、日本人が途上国でできることってすごく限られていて、現地の人の方が体力はあるし言葉も知っているし、いきなりボランティアしたいといっても何もできない自分に気づいたんです。
あとは、日本政府の援助のあり方や、ODA等の問題点も見えてきたときだったので、日本の社会や、国内の意識を変えていかないといけないと強く感じていました。
もう一つのきっかけは、学生時代に出会った開発教育のワークショップでした。目から鱗でした。参加者が主体的に取り組んでいて、思ったことは何でも言いあって、答えは一つではないという雰囲気がとても新鮮でした。
世界や社会のことをみんなで考える場というのがすごく楽しくて、こういったことを小さい頃からやっていれば私自身も学ぶことが多かったと感じていたので、こういう世界に入ってみたいとは思っていました。
英語が好きだったし、世界のことに関心があったんです。
大学も国際関係を専攻し、特にアジアを中心に学びました。同じく教育にも興味があったので、その二つで何かがしたいということは考えていたので、開発教育はまさに二つを足した仕事だと思っています。
開発教育協会に入ったのは2000年からですが、学ぶことが多く、楽しいです。
教材も専門家が一人で作るわけではなく、たとえば先生、 NGOの方などみんなで話し合って作るんです。
調査をしたり、データを集めたりしながら。チームのメンバーはみんなボランティアです。当会はスタッフが少ないので、ボランティアの皆さんの力はとても大きいです。
●ボランティアしたいといっても何もできない自分に気づいた
●日本の社会や、国内の意識を変えていかないといけない
●小さい頃からやっていれば私自身も学ぶことが多かったと感じていた
「開発教育協会」中村さんへのインタビュー(第二号)は以上になります。
次回もお楽しみに!
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Wrote 2009.01.26 << 前のインタービュー | 次のインタービュー >>