vol.061 宮秋道男

くるめ・一歩の会理事長  URL:http://ipponokai.fc2web.com/

1987年 中国・大連に語学留学(1年間)
91年~99年:東久留米市議会議員
93年 中国・大連より「障害者と福祉の交流」団(団長・張書恵大連市副市長)を初招待 し、都知事に表敬訪問のほか、都内での交流をもつ。その後も毎年、中国との交流を続ける。
96年 中国大連市障害者連合会より「海外名誉理事」に就任。
99年 アジアとの非営利の交流団体・NPO法人アジアンロードを設立し、理事長に就任。
2006年 社会福祉士(ソーシャルワーカー)、精神保健福祉士(精神科ソーシャルワーカー)の国家資格取得。
08年 日本社会事業大学博士前期課程卒業。

こんにちは!テトル(インターン)の熊坂です。
今号は、「くるめ・一歩の会」宮秋さんへのインタビュー(第二号)です。

「アジアンロード」の特集ではあまりお聞きできなかった宮秋さんの学生時代。
どういった経緯で現在二つのNPOを立ち上げ、ご活躍されているのか。
今号では実際に活動を始めるまでのきっかけの部分をたっぷりとお話いただきます。
それではお楽しみください。

ひょっとして、社会の方がおかしいのでは

bodyXX_ipponokai004.jpg

私の高校時代、68~69年は、いわゆる「学園紛争の時代」でした。
世間は、学生が「過激に騒いでいる」という目でしたが、私はむしろ、なぜ彼らが騒いでいるのか、素朴に疑問に思っていました。
だから、校内放送で「今日は、○○近くに行かないように」と呼びかけられると(デモとか集会があるんですね)、妙に気になって仕方ありませんでした。
変な高校生、素直でない高校生でしたよね。特に、学生の中には、一流大学といわれる学生たちが騒いでいるのですから、なぜ彼らが騒ぐのかと素朴に疑問がわいたのも事実です。彼らの活動が報道されるニュースなどに接すると、彼らがおかしいのではなく、ひょっとして、社会の方がおかしいのではないかと漠然と感じていました。 高校は商業高校でしたので、多くが卒業=就職です。も卒業前にすでに就職先が二つ三つ決まっていて、いつ、どこに来なさいという案内までもらっていたのですが、それを無視しました。つまり、このまま就職するのは「まずいのでは」と思い始め、「就職するのは4年後にもできる。もうちょっと世の中のこと、社会のこと、そして自分のことを考えてみたい」と決意しました。いわゆるモラトリアムですね。
大人になる、社会人になることを一旦停止したのです。
就職せずに、ブラブラするわけにはいきませんので、大学に入ることを決意したのです。
親にそのことを話し、わがままを許してもらうことにしました。
4人兄弟で、私だけが「高校卒業後就職」という道を歩きませんでした。
もっとも現役での大学入試は落っこちます。
浪人してでも、大学に入りたいと親に話し、浪人生活をしました。
ただし、わがままを許してもらったものの、親に経済的負担をかけるわけにはいかず、塾に通わず、自分で勉強します。
家が狭いので、アルバイトをして、アパートの一間を借りて勉強します。
そして、一年後、約束どおり、大学に入ります。

入学後は、目的を忘れることなく、自分の疑問をはらす動きをしました。
いわゆる学生運動にも関わります。

自分もいつか農業をやるんだ

大学は農学部畜産学科でした。
将来は、北海道かカナダかオーストラリアに行き、婿養子にでもなって、畜産をやろうという思いもありました。
大学には4年間いたものの、結局、卒業せずに上京します。

「どんなエサをどれだけやって、どれだけの肉になるか」ということを、学問の目的にする畜産が、少々私にはあわなかったこともありますが、労働運動、市民活動などの社会運動を支援・啓蒙する雑誌編集の仕事をやらないかという話が来て、上京することになったのです。

しばらくは、その雑誌編集の仕事を一生懸命やりました。
企画・取材・編集をこなし、徹夜で原稿整理をし、翌日印刷屋に入稿することもしばしばでした。
月刊誌でしたが、10年以上、編集の仕事をしていると、自分で好きな分野、こだわりたい分野がどうしても出てきます。
その一つが、農業でした(もう一つは中国だった)。

消費者運動、食品の安全を求める活動から、農業にかかわり、農業に参加する人がいます。
その人たちを取材し、その人たちの生き生きとした姿にふれて、自分のもともとの血が騒ぎ始めます。

自分もいつか農業をやるんだと考え、また、自分でも家の近くで畑をやり始めます。
日の出とともに起き出して、農作業をして汗を流してから、何食わぬ顔をして、出社するという生活をよくしていました。
同僚から、夏になってからは特に日焼けしてくる顔を見て、不思議がられました。
「ゴルフもやっていないのにねぇ」って。

カミさんに今でも時々言われるのですが、「10年後は、地方で農業をやるんだ。いっしょに来るかと言っていたけど、全然実現していないじゃないの!」と。(笑)

初めて手話を身近に見る

bodyXX_ipponokai002.jpg

私の「福祉」への目覚めは、やはり、畑がきっかけでした。私がやっている畑は住宅街にあります。その頃の畑は、アパートの前にありました。
私は、週に2、3日は畑に来ているので畑の近所の方とも親しくなります。日曜日など畑をしながら近所の人、近所の子どもたちと遊んだりもします。畑で農作業を手伝ってもらうこともありましたが、畑の前でボール遊びをしたりしました。
そんなある時、ある子のお父さん、お母さんと顔を合わせます。なんとその子が、可愛い手で手話を使って自分の親に私との会話を通訳してくれたのです。
この時、初めて手話を身近に見ることになります。
そして、その聾唖(ろうあ)者と親しくなります。
その人たちとの交流があって、手話を勉強する、聾唖者の団体との付き合いをする、さらにはその周辺の人たちと付き合いをする、と広がっていきました。
畑がその広がりのきっかけを作ってくれたのでした。

私の住んでいる市内で、一定の広さの畑を確保し、野菜づくりを行ってかれこれ30年近くになります。アパートの庭先で始めた野菜づくりも、80坪の畑、100坪以上の畑と広がり始めています。現在は、3000平米近くの畑を確保しています。
1年間、中国へ語学留学した時をのぞいて、今までずっと畑をしています。
途中、市議会議員を2期つとめたこともありますが、畑をやめたことはありません。地元の農家の方に「あんたは、地元の農家出身の議員より、農業のことをよく知っているよ」と言われたことがあり、内心うれしく思ったこともあります。

Word of power

●なぜ彼らが騒ぐのかと素朴に疑問がわいた
●もうちょっと世の中のこと、社会のこと、そして自分のことを考えてみたい
●あんたは、地元の農家出身の議員より、農業のことをよく知っているよ

「くるめ・一歩の会」宮秋さんへのインタビュー(第二号)は以上になります。
次回もお楽しみに!

読者の皆様へ

一緒に社会起業家メルマガを社会に提供しませんか!?
現在Granmaでは共にこのメールマガジン事業を推進するスタッフを募集しております!!我こそはと思われる方、
ぜひ一度、コーヒーでも飲みながらソーシャルなお話などしてみませんか?
お問い合わせ先はこちらから!!皆様からの熱いお便りお待ちしております!!

page top