vol.081 中込 祥高

認定NPO法人JHP・学校をつくる会 事務局次長  URL:http://www.jhp.or.jp/

1973年埼玉県生まれ。
大東文化大学在学中にJHPのボランティア活動に参加。
卒業後、97年4月より同会東京事務所スタッフとなり、海外プロジェクト の国内担当ほか事務局全般業務に携わる。
現在事務局次長。
97年9月~2005年9月までは、地雷廃絶日本キャンペーン(JCBL)運営委員を務める。

こんにちは!テトル(インターン)の熊坂 惟です!!
今号から三号に渡ってお送りいたしますのは、「3年B組 金八先生」などでおなじみの脚本家、小山内美江子さんが代表を務めていらっしゃる、「認定NPO法人JHP・学校をつくる会」事務局次長・中込 祥高さんへのインタビューです。
第一号となる今号では、団体設立の経緯を中心にお話いただきます。
それではお楽しみください!

           

国際ボランティアの道へ

                                    

まず、団体設立の経緯からお話いただきたいと思います。

JHP・学校をつくる会は、「3年B組 金八先生」などでおなじみの脚本家、小山内美江子が代表を務めております。
小山内がカンボジアを意識したのは1979年頃と聞いています。当時、日本の若者がタイ国境の難民救援に駆けつけたことが、日本におけるNGO活動の第一世代と言われます。
小山内はすぐにでも現地に行きたかったけれど、シナリオライターとして「金八先生」を書かなければならなかったので、実際には行動できなかったそうです。
「金八先生」のシナリオに、「カンボジア」や「戦争」を意識したセリフを書いたのは、番組を通じて現実を伝えたかったからなのです。
そして90年代になってはじめて、仲間と国際ボランティア活動の道に進むことになったのです。

当時、お幾つだったのですか?

小山内は当時、還暦を迎えていて最愛のお母様が亡くなり、息子さんは独立していました。
この先は国際ボランティアの道に進もうと決意した矢先に湾岸危機が起こりました。
小山内は最初にヨルダン難民救援に入り、次のクルド難民救援の際に、若い大学生に対して、「私たちみたいな、おじいさんおばあさんでも行動を起こすのだから、学生たちも一緒にやらないか」と伝え、意気揚揚と集まってきた大学生たちと活動する流れが生まれました。
その当時の活動が原点となって、1991年10月の和平協定以後、同じアジアの国カンボジアに腰を据えて活動していくようになりました。

教育が必要

当時はどういった活動をされていたのですか?

1992年にカンボジア帰還難民の救援活動に入り、その後素人集団に何ができるかを考えたそうです。
小山内は、「この国の自立のためには教育が必要」と考えました。学校ならば、がんばれば1年に1棟は作れるのではないかと。
当時は「カンボジアのこどもに学校をつくる会」という名前でスタートしました。
お金はないけれど、時間と体力があるという強みを持った学生たちと、知恵を持った年配の方々がタッグを組んでこの会が生まれました。それが93年9月のことです。

15年間継続できた理由はなんでしょうか?

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カンボジア以外にもボランティアを派遣するということで、1997年に今の団体名に変えました。
NGOとして海外の人たちの教育支援を行いながら、学生に途上国での体験を積ませる、つまり日本の若者の地球市民教育を実践するという二本柱がJHPの大きな特徴です。
これは、当時から変わらない小山内のポリシーでもあります。
現場に出て、生の声を聞き、支援の成果や若者の成長を実感できること。これらがモチベーションになって、小山内を中心にここまで15年間続けてくることができたのだと思います。

Word of power

●「私たちみたいな、おじいさんおばあさんでも行動を起こすのだから、学生たちも一緒にやらないか」
●「この国の自立のためには教育が必要」
●現場に出て、生の声を聞き、支援の成果や若者の成長を実感できる

「認定NPO法人JHP・学校をつくる会」中込 祥高さんへのインタビュー(第一号)は以上になります!次回もお楽しみに!!

今すぐできる「プチいいこと」!!

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