vol.119 根本 かおる
特定非営利活動法人日本UNHCR協会事務局長 URL:http://www.japanforunhcr.org/
兵庫県生まれ。
東京大学法学部卒業後、テレビ局にアナウンサーとして入社。
入社4年目に報道局へ移動し、同局初の政治担当の女性記者に。
専門分野を持つ必要性を感じ、休職し1994年、米国コロンビア大学大学院に留学。
「国際人権・人道問題」をテーマに選ぶ。
大学院卒業後、テレビ局を退社。
96年から外務省の国連派遣制度でUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)
トルコ事務所へ。難民申請手続きの仕事ぶりが認められ、98年、正職員に。
その後、アフリカ中部のブルンジ、ユーゴ空爆後のコソボ、
ジュネーブ本部を経て、国連世界食糧計画(WFP)広報官を歴任し、
06年2月にはUNHCRネパール・ダマク駐在事務所所長に。
現在は、UNHCR国内委員会である日本UNHCR協会の事務局長として、
難民支援の広報活動および募金など民間からの協力の呼びかけを手掛けている。
こんにちは!テトルの藤澤あすかです!!
今号は日本UNHCR協会事務局長、根本 かおるさんへのインタビュー(第二号)をお送りいたします!
のちに難民支援の活動に関ることになった原点は、さかのぼると小学生の頃の体験に行き着きます。
私は小学校3年生から4年間、父親の関係で西ドイツのハンブルグで過ごしました。
そのとき、肌の色が違うことで区別されたり、
ドイツ語がなかなか覚えられずにからかわれたり、いろいろなつらい経験をしました。
日本に帰ってきてからも、海外の影響を受けていますから生粋の日本人とは違ったところが出てしまい、
居場所が見つからず苦労しました。
ようやく帰ってきた日本に対して、「なんて息苦しいところなんだろう!」と、思っていました。
高校に入学してからも、英語がきちんと話せるのにわざと下手な発音を心がけたり、
受験勉強もしていないふりをしたり、なるべく目立たないように過ごしました。
すごく人の目が気になった時期でしたね。

東京大学を卒業して、テレビ朝日のアナウンサーになったのは、男女雇用機会均等法が施行された1986年。
男女平等が謳われてはいましたが、男性中心の職場で認めてもらうには、男性の2倍くらいは働かなくてはいけませんでした。
転機が訪れたのは政治経済担当の記者として仕事をしていたときのことです。日米貿易摩擦の取材をしていたのですが、アメリカの政策や、アメリカの考え方にそれほど詳しいわけでもない自分がニュース番組に出演して解説をしていることにふがいなさを感じ、より専門性を高めたいと思ったんです。
それで、海外留学のための休職制度を作ってもらって、テレビ朝日を休職させていただく形で、コロンビア大学の大学院に留学することにしました。この制度で仕事を休んで海外留学したのは、私が第一号。
男性が多い職場で人一倍がんばらなくちゃならない状況だったのですが、テレビ朝日で女性の政治記者第一号だったこともあり、パイオニアにならなくてはいけないというか、常に荒れ地を進まなくてはならないような状態でしたので、フロンティア精神が培われていたのだと思うんですね。

大学院では、国際人権法と人道問題を専攻しました。これには先にお話した子どもの頃の体験が影響している部分が大きいと思います。
大学院在学中に、インターンシップを体験する機会があり、私はネパールのUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)でブータン難民に対する援助活動に関ることができました。後に私は、この事務所の所長を務めさせていただくことになるのですが、インターンでの経験によりアナウンサー時代のスキルが役立つことを実感し、国連への興味が強まったことがきっかけになっています。
テレビ朝日は退職させていただき、UNHCRに転職し、難民支援活動にあたってきました。この転身に違和感はなかったかと聞かれることもあります。しかし、たとえばネパールではブータンを追われた難民の人々が避難生活を送っていて、7つの難民キャンプに、おおよそ10万人のブータン難民が暮らしています。ここで大学院在籍中にインターンとして手がけたことは、難民の子供たちから話を聞いて、彼らが抱えている問題が何かを見出して、支援を求めるためのアウトプットに変えていくんですね。報道ですと、記事やリポートという形でアウトプットするのですが、UNHCRでは、実際の支援を取り付ける方法を考えながらのアウトプットになります。このアウトプットの仕方のほうが、私にはリアルであり、フィットすると感じたんですよ。
アナウンサー時代の経験は、講演を行うことも多い現在の仕事で大きな支えになってくれています。政治記者として、永田町や霞ヶ関を担当していたわけですが、そのときのご縁は人脈として力を与えてくださいます。広報や啓蒙活動を行おうと思ったときに、まさしく過去に出会った人たちが財産となっているのを実感しますね。
まわり道はしましたが、苦労も困難もすべて、歩んできた道が自分の血となり肉となっていると思います。
●常に荒れ地を進まなくてはならないような状態でした
●UNHCRでは、実際の支援を取り付ける方法を考えながらのアウトプットになる
●苦労も困難もすべて、歩んできた道が自分の血となり肉となっている
日本UNHCR協会事務局長・根本さんへのインタビュー(第二号)は以上になります。次回もお楽しみに!!
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Wrote 2009.04.27 << 前のインタービュー | 次のインタービュー >>