vol.115 國田 かおる

Carbon to Forests代表  URL:http://ctf.jp/

1979年7月生まれ
1985年~1990年 小学校時代をNYで過ごす
1994年~1996年12月 高校時代をシドニーで過ごす
2001年3月 慶應義塾大学法学部法律学科卒業
2001年4月 東京ガス株式会社入社
2002年4月 京都大学大学院 地球環境学舎入学
2004年4月 松下政経塾入塾
2006年9月 YENから派生した食事会「エンカレ」をスタート
2008年2月 藤崎事務所に入社。現在に至る

こんにちは! テトルの本村拓人です!!
全4回でお届けする藤崎事務所の國田かおるさんへのインタビュー。今回は第2回目の配信です。 ロハスやカーボン・オフセットといった新しい概念をいち早くキャッチし、普及活動に務めてきた國田さん。いったいなぜ、どうしてそのような目線が備わっていったのでしょうか。
今号は、彼女に小学生の頃までさかのぼっていただき、活動の芽生えを追いたいと思います。しかし、話を聞いていて感じたのは、國田さんも決して他の人と変わらない、ということです。違っている点があるとすれば、どこに問題意識を感じ、その意識に対して、どんな行動を起こしたか、ということに尽きると思います。
読者の方々も、きっと身の回りで不自由だ、と感じることがあるのではないでしょうか。あるいは、気になるニュースや事件はありませんか? その引っかかりを、月日が流れる中で、自分にはどうしようもない、と風化させてしまったか、それとも何かしらのアクションを起こしたか。その積み重ねにより、いまの國田さんがある。そんなふうに感じました。

私の居場所がどこなのか、ずっとわからなかった

──國田さんは、どういった経験から、環境問題を意識するようになったのですか?

私は小学生の頃、親の仕事の都合でニューヨークに住んでいまして、5年生の秋に日本に帰国したんですね。そのときに一番びっくりしたことは、日本の空気がとても汚かったこと。私が住んでいたのは、ニューヨークのマンハッタンシティではなく、市街地から車で1時間ほど離れた郊外だったので、まわりはほとんど緑だったんです。
成田に降り立ったときは思わず咳き込んでしまって、本当に驚きました。実際、小学校に通ってみても、当時は光化学スモッグの影響で、外で遊ばないようにと勧告が出る日もありました。いまでは考えられないですよね。それで小学校6年生の頃は、夏休みの宿題で「温室効果ガスとは」なんていう壁新聞を作りました。

──小さな頃から、問題を問題として捉える感性に優れていたんですね。

それから、居場所がない、という気持ちはずっと持っていて、それがいまの活動に影響しています。大学を卒業した直後、一年間だけエネルギー関連の会社に務めていたのですが、そこを辞めて、京都大学大学院の地球環境学舎に第一期生として入学しました。そこを受験した理由の一つに、「地球益を求めて活動できる人を育てたい」という教育理念があったからなんです。地球益とはなにかというと、地球のための利益のことですね。個人の私益でもなく、日本の国益でもなく、地球全体のこと広域的、長期的、俯瞰的に考え、活動すること。ああそうか、と、私にとってはすごく腑に落ちる考え方だったんです。

──それはつまりどういうことなのでしょうか?

小学生の頃、帰国子女として日本の小学校に通いはじめた私だったのですが、なかなかなじめずにいたんです。

──それはたとえば、言葉がおかしいとからかわれたりするということですか?

私は運動が苦手なんですね。たとえば日本だと逆上がりができなかったとき、できるまでやらせたりするじゃないですか。でも、アメリカは違っていて、「あら、運動が苦手なの? だったら絵を描けば? 音楽をやったらどう?」って感じだったんですね。それでますます運動から離れたいたのですが、子供って残酷なところがあるので、日本に戻ると運動ができないことが冷やかしの対象になってしまって。
ある程度アメリカで自立心が育っていたので、別に気にすることはなかったのですが、常に違和感はありました。「あぁ、自分の居場所はここじゃないな」って。一緒にいて嫌というわけではないのですが、どうもなじめなかったんですよ。
中学校は受験して私立に行ったのですが、やはりそこでも居場所がないな、って思うことが多々ありました。多分、共同作業が苦手だったんです(笑)。「みんな同じ」であることに疑問があって、枠の中からはみ出してしまう自分を持て余していました。「楽しい学校生活を過ごしたい」という大きな目的は共通なはずなのに、それを実現させるためになんでみんなでお揃いの文房具を使わないといけないんだろう、みたいな(笑)。で、人と違うことをしていると「あの子ちょっと変わってるね」って言われて。やっぱりなじめないんですね。

40時間何も食べずに過ごせば見えてくることがある

──多感な中学生の時期に、居場所がないときついですよね。

学校が好きじゃなくなった私が母に「学校に行きたくない」と言うと、「だったら行かなくていいわよ」と、母はあっさり認めてくれたんです。それで中学3年生になったタイミングで、オーストラリアの学校に留学しました。そこでは水を得た魚のように活き活きとすることができました。でも、中学に行けなかったという負い目はずっと残っていましたね。いまだに中学卒業の歴は残っておらず、自主退学となっているみたいです。というのも次に通った学校で飛び級をしていて、中学校の卒業証書をもらい損ねました(笑)。
ちなみに、高校はオーストラリアのシドニーにある学校だったのですが、そこで私はフォーティ・アワー・ファミンというボランティア活動に参加しました。ファミンとは飢餓のことです。要するに40時間飢餓を体験するという活動なんですね。日付けを決めて、金曜日の夜8時から日曜日のお昼まで、水分は取りますが食事をしません。その前に、知らない人の家に行ってベルを鳴らし、自分たちの活動を説明してスポンサーになってもらうんです。だいたい1時間10円換算で、「40時間何も食べないので4ドルください」と言ってまわるんですね。

──食べ盛りの高校生ですから、結構こたえたでしょう。

どうしてもつらい人は、オレンジジュースや牛乳やスープを飲んでもよいことになっていました。ファミンの実践中には、いろいろな資料が配布されます。たとえば、貧困が原因で3秒に1人が命を落としていることや、私たちがいかに食べ物を無駄にしながら暮らしているか、そういったことが書かれた資料です。
するとやっぱり、いろんなことを考えるわけですよ。私たちはカウントダウンしながら、「あと3時間我慢すれば、バナナが食べられる」とか思っているけれど、この世界には何時間待っても食料が口に入らずに、死んでしまう人もいる。私たちはなんて恵まれているんだろう。貧困という問題に対して、何かできることはないだろうか......。
環境問題に関しても同じなのですが、できる余裕があるなら取り組もうという姿勢は、このときに身についたと思います。そういうことでいいと思うんですよね。毎月1日、食事を抜いて貧困について考えてみるでも良いし、早起きをしてみるでもいいし。

──体感してみて、初めて理解ができることってたくさんありますもんね。

そうですね。それで、高校卒業後は日本に戻り、慶応大学に入学しました。大学を選んだ理由は、家が近かったことです、というと贅沢に聞こえるかもしれませんが、3年弱のんびりとオーストラリアで過ごしていたので、ラッシュの電車に乗って通学するのは絶対に無理だと思って、自転車でも通える大学を選びました。
オーストラリアに残りたかったのですが、その時親に「そろそろ帰ってきて欲しい」と言われて。15歳になる直前から離れて暮らしていたのですが、一緒に暮らすのも親孝行かな、と思って帰国しました。
大学で大きな変化があったとすれば、3年生のときに環境法という法律のゼミに入ったこと。ここを選んだことをきっかけに、環境やロハスといった世界にザブーンと飛び込むことになった気がします。当時はロハスのロの字も、地球益のことも考えていませんでしたが、ゼミでの勉強を通じて、環境問題に対するスタンスが固まっていきました。つまり、予防原則第一主義、なんです。

地球益を考えるという方針に心が救われる気がした

──慶応大学卒業後は東京ガスに入社されていますが、東京ガスを選んだ理由はなんだったのでしょうか?

大学で環境法のゼミで教えてくれた六車 明(ろくしゃ あきら)先生は、瀬戸内海にある豊島における不法投棄の問題を担当されていました。よく、原告適格という言葉を使っていらしたのですが、どういう意味かと申しますと、原告となり、法に則って訴える権利のことなんですね。つまり、言い換えると、社会に問題が起きていて明らかに被害が出ていたとしても、訴える法律がなければ訴えることができないということなんです。
先生は、「社会のルールやシステムを作る人がしっかりとした視野と公平性を持たなくては、結局、弱い立場の市民が困ることになる」とおっしゃられていて、私は本当にそうだと思ったのですが、法律家にはどうもなれそうにもない。だったらシステム寄りなところ。インフラを作る会社ならどうだろうか、と。そう考えて東京ガスを選んだんですね。
ところが働いている最中に、京都大学に新しく地球環境学舎という大学院ができたことを知って、興味を持ってしまったんですね。休みを利用して京都に出かけて、資料を読んでみるともう行きたくてたまらなくなりました。なぜなら、教育方針に"地球益を考える"というものがあったからです。
私には居場所がないという話に戻るのですが、ニューヨークに永住するわけでもなく、日本でも居場所が見つけられず、オーストラリアからも飛び出した私は、ずっと自分のアイデンティティを見つけられずにいました。そんな私にとって、どこか限定された国でなく、地球という大きなものを軸に考えるというのは、非常に納得がいったんですね。そうか、私の居場所は地球だったんだ、と心が救われる気がしました。会社には「すみません!」と謝って、すぐに京都へ行きました。

Word of power

●体育が苦手なら、絵を描けば?
●ゼミを選んだことで、環境の世界へ
●仕事してたけど、京大に行きたくてたまらなくなった

國田さんに小学生時代から振り返っていただきましたが、次号は謎の松下政経塾へ迫ります。自衛隊に入隊してパラシュートで飛行機から飛び降りるなど、驚くべき研修が盛り込まれた松下政経塾。ここで人生が変わったと國田さんが語る、スゴイ塾の教育スタイルとは?

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