vol.132 渡邊 奈々

 

こんにちは! Causeの井上晶夫です!! 全4回でお届けする渡邊奈々さんへのインタビュー。今号は第3回目です。 前号では、渡邊奈々さんやパメラ・ハーディガンさんの活動を通じて、ワールドワイドな舞台での社会起業家シーンについてお伝えしました。ダボス会議、スコール財団といった言葉を前に、もしかすると、"別世界の話"と感じてしまったかもしれません。 しかし、ダボス会議もスコール財団も、決して別世界の話や、遠い世界の話ではありません。今回のインタビュー記事でご紹介いたしますが、彼らを繋げているものは、フレンドシップであり、共通した理想を掲げていることにあるからです。 もしも、よりよい社会になってほしい、あるいは、よりよい社会に変えていきたい、という気持ちがあるならば、社会起業家たちは尊敬すべき人々であると同時に、信頼の置ける仲間でもあるというわけです。 第3回目のインタビューからは、そんなフィーリングを感じていただければと思います。

社会起業家たちをつなげる"フレンドシップ"

話をうかがうと、社会起業家は増え続けており、企業などとも有機的に結びついていきそうですね。

社会起業家たちをつないでいるのは、「私たちの住んでいる世界をより良く変えなくてはいけない」という共通の価値観です。言葉にすると陳腐に聞こえますが、皆が心の奥底から望んでいることが、社会をよくすることであり、ビジネスとして大きな成功を収めることではありません。だから、情報を隠蔽しないという特徴があります。よいことは広がれば広がるほどいいわけでしょう? よいことが倍々になれば改革も倍々になる。そういう態度の人が集まっているのです。社会起業のエッセンスは、ビジネス起業とは根本的に違うものなのです。

渡邊さんは"人見知りする"とのことですが、直接、社会起業家の方々を訪ねようと思ったのは、なぜなんですか?

会って直接話を聞きたいという思いが、とても強かったからです。私は人見知りはしますが、やると決めたら徹底的にやるという性格なんです。ソーシャル・アントレプレナーについてもっと知りたいと思ったときに、その手がかりのひとつのがジェッド・エマソンだったとわかったら、もう会いに行くしかありません。ジェッド・エマソンが、「いつでも会いにおいでよ!」というオープンな態度でいてくれたことも大きいですね。私がこれまで出会ってきたソーシャル・アントレプレナーたちは、皆オープンで優しく懐の深い人ばかり。 自分に返ってくる名誉や手柄は重要ではなく、「自分よりラッキーでない人たちへの共感」の能力が人一倍大きな人たちだからでしょうね。

過去にも、写真家として撮りたい人に会いに行く、というようなことは行っていらしたのですか?

あまりしていませんでした。そんな勇気がなかったというか... ポートレート撮影というと仕事でも緊張しました。「自分が相手にどう思われているか」なんて気になってドキドキしたりして..つまり自意識過剰でした。 良いポートレートを撮るコツは相手との心理的な距離を縮めて親密になることです。 撮影をする1時間か2時間の間、その人の気持と一体になることです。自分の心を相手に向けて開き、フラジャイルな状態になる勇気を持つことです。一種の恋愛関係のような緊張し酔うような状態に身を任せる...そして、その結果がポートレートになります。

それはなぜですか?

プロの写真家として仕事を初めて15、6年くらい経った頃だったか、自意識の壁を取り除き、相手の心に寄り添うという心理的テクニックが肌でわかった瞬間があります。「あっ、これだ」と思いました。一種の悟りみたいな現象でした。あれからは、ポートレート撮影は大好きになりました。 それからは、対象を目の前にして心理的な垣根を越えてその人の心にすっと入るみたいなことができるようになりました。2000年に生まれてはじめてインタビューをすることを始めたわけですが、すんなり最初からできたのは、この修行(?)を積んでいたからかも知れませんね。

社会起業家との出会いは、偶然に次ぐ偶然

2000年、ジェッド・エマソンのほかには、どのような方に会いにいったのですか?

たとえば、オネスト・ティのセス・ゴールドマン。彼は営利企業とし発足し、保存料をいっさい含まないボトル紅茶の生産+販売をはじめました。 また、オネスト・ティはミント栽培の技術を復興させ、アメリカインディアンの起業を支援しました。東部のある集落に住むアメリカインディアンは、当時失業率が90パーセントで、アル中のホームレスがたくさんいるという状況でした。ミント栽培はもともとアメリカインディアンたちの技術。つまり、誇りを持って取り組める仕事を提供していったんです。彼からは、「仕事」とは、収入を得る手段というだけでなく「誇り」を人間に取り戻すものだということを學びました。 デヴイド・グリーンは、貧困層が安価で眼の手術を受け視力を回復することができるようになる 医療インフラを創ったお墨付きのイノベーターです。 それから、社会責任投資をはじめたデヴィッド・バーグとの出会いも印象深いですね。 彼らに会うたびに私は、アイ・オープナー、...目から鱗っていうのかしら、こんな人たちが増えたら、世界は変わると思いました。この驚きが今もこのミッションを続けている所以です。

そのような社会起業家たちをどのように発掘して会っていったのですか?

ひとりひとりの会いかたは、全部違います。偶然が重なってようやく会えた人もいます。 ニューヨークという街には、お金のために身を粉にして働く人達もいれば、そうではない価値観を持つ最先端の生き方を模索している人たちもいます。とにかくいろいろな人に会うチャンスがそこら中にあります。 知人がシーズ・オブ・ピースという人種的な軋轢の解決を目指す活動に寄付をしているという話しをたまたま聞いて関心を持ち、その連絡先を聞きつきとめたり、フィナンシャル・タイムズに載ったとても小さな記事をもとにカーン・ロスにたどりついたりしました。ある日、IDEALIST.ORG という先端的変革の関連事項を調べるサイトで、ソッコルソ・クラウンというフィレンツエの病児のためのピエロ治療の2、3行のサイトを見つけたので何か感じるものがあって電話してみました。ちゃんとした事務所もない活動だったので、番号は運営者のユリ・オルシャンスキ-の携帯電話でした。 なかなか通話が繋がらなくて何日かしてやっと通じたとき、ぜひ現場を見てみたいと思い、翌月にフィレンツエに飛びました。「じゃあ、ピアッザの教会の前で水曜の19時に会いましょう。僕は野球帽をかぶってバックパックを背負っているから。君は、もちろん黒い髪ですよね、ハハハ...」みたいな打ち合せでした。 陽が落ちて薄暗くなった頃、ロシア人の小柄な彼がちょっと遅れて現れました。彼から打ちのめされたような苦しんでいるような何かが伝わってきました。夕食をとりながら話してみると、奥様が3ヶ月くらい前に行方不明になり数週間して死体で発見されたばかりということがわかり、重い空気の理由がはっきりしました。そして、もっと話していくと亡くなった奥様は私が撮影したことがある世にも美しいモデルであったことがわかりました。彼女とは又話してみたいな、といつも思っていた人でした。こういった見えない糸で繋がっているみたいな出会いが(チェンジメーカーを探す道中)何度もありましたよ。 たとえば、『社会起業の父』と謳われるアショカの創設者ビル・ドレイトン氏は、5人のアシスタントという壁に囲まれていて、コンタクトすることは不可能のように思われました。が、ちょうどその頃、偶然に共通の知人がいることがわかりそのルートで彼と知り合うことができました。

真面目な顔で「チェンジ・ザ・ワールド」

"ソーシャル・アントレプレナー"という言葉がキーワードとなり、重要人物の発掘に繋がっていったということでしょうか?

「言葉」を私は信用していません。アイデアとか状況とか気持がまづ存在して、「言葉」は後でつけるものですから。「言葉」にこだわると、そこから洩れたものを見逃すから危険です。私が探していたのは「社会をよりよく変えようとしている人たち」です。

その視点で世界を見たときに、当てはまる人がたくさんいた、というわけですか?

沢山ではありません...10年前は1000人に1人といった印象です。ダイヤモンドの発掘作業みたいなスリルに充ちていました。が、この動きはどんどん広がっていることを実感します。私が「世界をより良くしたい」なんて言っても、ついこの間まで笑われていました。 「何を馬鹿げたこと言ってるの?貴女は本当に変わっている!」 という風に、親しい友達たちからも言われていました。不思議なもので、ちゃんとした出版社から本が出たということで「信用」を得たみたいです。「彼女の言っていたことは、まんざら馬鹿げたことじゃないらしい...」と。 本が出る前と、やっていることは何も変わっていないのにね。 今回も東京で、アショカ・ジャパンの設立に関して数人の方に相談に行ったのですが、以前から少し存じ上げていた方に「君はどういう動機でこんなことを...?」と聞かれたので「日本社会を良くしたいからです」と答えたら、その方は大笑いなさっていました! まだ、気ちがい扱いされることが多いので、聞かれない限り「世界を変えたい」とは言いませんけどね! ところが、WEFには真面目な顔で「チェンジ・ザ・ワールド」って言ってる人が250人。スコール財団のフォーラムでは、それが750人もいたわけです。カーター元大統領やビル・ドレイトン、ジェフ・スコールといった、すばらしい人たちが、みんな「チェンジ・ザ・ワールド」と言っているんです。私はすごくうれしかった。まるで...そう、家族を見つけたみたいで。

ひと昔前は、笑い話だったという状況が変化したのはうれしいでしょうね。

でも、仕方のないことだったんだとは思います。私自身、ソーシャル・アントレプレナーシップが何を意味するのか最初はまったくわかりませんでしたから。だから、2000年頃は、誰にも理解してもらえませんでしたね。『Pen』に書いた記事を見せても誰からも理解してもらえませんでした。その頃、少しだけ知識のある人から、「そんなことやってもほとんどが失敗するよ」と言われて、これが普通の人の考え方なのだなあと勉強にはなりましたが。 新しく大胆な変革は1000のうち、999が失敗で、たったひとつの成功があるわけです。ひとつの成功を作り出すための、たくさんの失敗を恐れていては何もできません。 外国に比べて日本の社会起業のシーンが遅れているのは、日本人の失敗を恐れる体質も理由のひとつかもしれません。でも、この10年、日本でもだんだん変革の必要性を理解する人が増えてきているように感じます。

Word of power

●皆が心の奥底から望んでいることが、社会をよくすること
●とにかくいろいろな人に会うチャンスがそこら中にある
●「世界をより良くしたい」なんて言っても、ついこの間まで笑われていました

よりよい世界を作りたい。そのことについて、誰もが真剣に討論する時代は、すぐそこまできているのかもしれません。あなたのまわりにも、変えるべきことはありますか? 次号は、チェンジメーカーとして自分の存在を意識する方法、そして、チェンジメーカーとして、第一歩を踏み出す方法を教えていただきます!

読者の皆様へ

一緒に社会起業家メルマガを社会に提供しませんか!?
現在Granmaでは共にこのメールマガジン事業を推進するスタッフを募集しております!!我こそはと思われる方、
ぜひ一度、コーヒーでも飲みながらソーシャルなお話などしてみませんか?
お問い合わせ先はこちらから!!皆様からの熱いお便りお待ちしております!!

page top