vol.044 大和田順子 / Owada Junko

LBA ロハス ビジネス アライアンス共同代表  URL:http://www.owadajunko.com/

こんにちは!! テトルの本村拓人です! ! 今号もLBA(ロハスビジネスアライアンス)共同代表の大和田順子氏へのインタビューをお送りします。 ロハスの第一人者 大和田順子氏。彼女はいかにしてロハスに関わっていくようになったのか?大和田さんがロハスに関わるようになるまでの足跡からまずは伺った。

シンクタンクでは主に何をされていたのですか?

多摩田園都市の住民の時間とか行動の調査をしていました。いくつかのグループがあって、リゾートとか地域開発の部署と。私がいたのは生活行動研究室、3つか4つあって

マーケティングリサーチですか?

マーケティングよりはもう少し地味かな?多摩田園都市に住んでいる人の情報と高齢化が私の担当で。で、私は環境問題が自分のテーマだ!と勝手に言っていたので、1988年くらいのときから。で、そのときにインターネットができる前のときだったから、パソコン通信で、ハイパー社会ネットワーク研究所というのがあり、勉強会に参加していたわけ。割と新しいもの好きなのです。あとアメリカのライフスタイルとかも好きですね。

結構情報を入れていますよね?日本の一般的な人たちよりも少し早いですよね

だって研究員だもん!!百貨店にいるとファッションのトレンドはどうできるのだろうか、ということに関心があったわけ。ファッションの世界は流行色協会などがあって何かを作っていこうとするのがあるじゃない。でもどうやってそういうトレンド、ライフスタイルって作られていくのだろうなと。西武に仕事の学校というセミナーがあって、トレンドスポッターを名乗っていた人の講座があり、これ面白そう!と思って受けました。

当時講師を務めていた人は、次のトレンドはこうなるぞということを、アメリカに行って、それを電通とかに提供していました。電通、トヨタとかがクライアントで、講師や仲間と一緒にアメリカ行ったりしていました。そういうの好きなのよ。新しいモノ好きで!それが1988年とかかな。

90年ごろには違う仲間たちとまた、アメリカの環境保護団体「バルディーズ研究会」を訪問しようとか言って。エクソン社のバルディーズ号が、原油流出事故を起こし、それで(企業倫理に関する)バルディーズ原則ってのができました。企業はこれを守るべきだということで、アメリカに団体ができて、それのカウンターパートの団体を日本に造ろうとかいう動きがあり、そこに参加しました。アメリカの保護団体を訪問しようとみんなで行ったのですが、彼らはこちらが一応NGOの立場だったので、「あなたたちのストラテジーは?」とか聞かれるわけ。

ストラテジーとか聞かれちゃうの、NGOなのに!今は当たり前だけどね。何カ所かほかにも行きました。それが結構最初の頃の活動で、あれが原点です。そこで刺激を受けて、自主研究テーマで環境問題をやっているうちに、企業市民という言葉に出会うわけ。コーポレートシチズンシップとかいって!!

早いですね?

フィアンソロピーとか、コーポレートシチズンとか出始めていたころなの。それが90年ごろ。それを追っかけているうちに、ボディショップなる会社があるのを知って、アニータ・ロディックが作ったという一連の話があり、すごい会社があるわ~、と。こんな会社がある!とかレポートの紙に書いているわけ。そしたら、それがたまたま日本にイオングループの子会社で出てきたわけ。

たまたま私のイオンの知り合いが、ボディショップの店長に異動になって、「社長が木俣美智さんという元国連公使で、労働省のキャリアで」とか話をしていたら、たまたまある講演会で、木俣さんと私がご一緒することになったのです。

当時私は、『百貨店人のためエコロジーハンドブック』とか言うのを作っていました。当時は環境委員会が百貨店の中でできていたのですが、何もしていないわけですよ。おじさんたちが!新聞記事を切り抜いちゃ「こういう動きがありますなあ~」で終わり。で、そこの消費生活アドバイザーの女性たちとまた、自主プロジェクトとかいってね。

自主が多いですね?

なんでも自主なの。百貨店で扱っている商品と環境問題を勝手に調べて、レポートにしていました。で、『百貨店人のためエコロジーハンドブック』というのを作りました、と言ったら、環境委員会のオジサンたちが、「なんか女子社員達がすばらしいものを作ってくれた」とか言って、これを印刷して全社員に配ろうじゃないかとか言って、それを5000部印刷して作ったわけ。業界では初めてだったので、それなりには話題になって、新聞に載ったりとかして、それでボディショップの木俣さんと対談をすることになりました。

木俣さんは「あなた私の講演会に来ていたわよね?」ときて、「私の記憶ではパネラー同士でご一緒したのですが」とのやりとりがあって、とにかく会っちゃったからこの人は「日本のボディショップの社長なのだ」と思って、名刺交換して、家にそそくさと帰って自分のリポートをまとめて、「私はかねてからボディショップで働きたかった!」といって送っちゃった。早い話がボディショップで働きたいと意思表示をしたわけです。で、彼女から「すぐに会いましょう」ということで、お茶を飲むことになり、まだその時は機を熟していなくて、それから1年半くらいでボディショップに移りました。

1年半でですか?!すごいですね。社員になるために社長と話をするなんて・・・

出会いましたから、社長と。もう直談判というか。

いきなりレポートを出すことになったきっかけは?

ボディショップのことをいろいろと調べていて、「こんな会社があるのだ、すばらしい!!」と思っていたし、アニータ・ロティックさんの今は絶版になった「ボディ&ソウル」で、彼女の生い立ちや、ボディショップを始めた理由を書いていて、それに感動したというのがあって。こんな会社で働いてみたいと・・・。

ボディショップ以外には注目していなかったのですか?

どうだろう~?!欧米ではボディショップでは有名だったので、メディアでは取り上げられてはいたのですよね。そういうのを見ていたのだと思います。別に私がアメリカの新聞を取って読んでいたという記憶はないから。

環境というテーマは実際ご自身で興味はあった?

本にも書いたけど結婚して子供を産んだら、なんか食の安全とかゴミ問題とか興味が出てくるわけよ、普通に。

ボディショップにいらした2000年頃は日本全体は環境、環境とか

ないないない!何もないというかちょっと(関心)が出始めたというか。

いろんな障害があったと思うのですけど・・・

典型的なのが、化粧品分野における動物実験反対というのがあって、たかが化粧品のために動物を殺すのか、犠牲にするのかというのがあるわけ。それを日本では、化粧品がそもそも動物実験に使われていることすら、知られていない。だけど欧米は、ちょっと早いからもう知られていて、こんなことやめさせよう、法律で禁止させようと言っているわけ。で、同じ動物実験反対キャンペーンをやりなさいと来るわけよ。各国にイギリスから。そうすると日本では、「やめなさい」たってまだ誰も知らない・・・。日本では「化粧品の動物実験ご存じですか?」ってところから始めるキャンペーンになるのですよね。

それはイギリス本国に説明するのも大変だったと・・・

そうそうそう・・・でもわからないわけ。

逆に日本から本国に提案はしていたのですか?

勝手に日本独自でやったキャンペーンもあった気がする。でも一番私の中で、印象に残っているというか忘れられないキャンペーンは、少数民族ナイジェリアのオゴニ族。オゴニ族のところに石油が出て、それを軍事政権とシェルが結託をして、オゴニ族の利益を無視して、パイプラインを引いちゃった。

どんどん環境は悪化するし、賃金は下がっていって、そこに住んでいる人たちはどんどんひどい目に遇っていく。人権蹂躙のような形で。それを知ったアニータ・ロディックが、「許せない!同じ企業として許せない!断固、シェルに対して抗議をしましょう」と。それから不当にオゴニの人たちを苦しめている軍事政権に対して、抗議をしようと呼び掛けた。で、世界各国のナイジェリア大使館に抗議のファックスをしてくださいというので、日本でもやっていたわけです。

そしたらオゴニのリーダーでケン・サロ・ウィワって作家がいて、軍事政権によって殺されてしまった(殺人罪で逮捕され、1995年絞首刑に)。私たちはオゴニの人たちを救おうと思って、連日ナイジェリア大使館にFAXをしたにもかかわらず、オゴニのリーダーであるケン・サロ・ウィワ氏が殺されてしまった記事を見て、それがなんかすごいショックで・・・日本ではそんなことが起きるわけがない。

だけど軍事政権はそうやって殺しちゃうという・・・それがあまりにショックでね・・・そのときの朝礼で、実はけさケン・サロ・ウィワさんが殺されました、ということが言えなくて、言葉にならなくて、本当にあれはショックだった・・・。

そのあと、彼の義理の妹さんがイギリスに逃亡していて、この問題を各国でみんなに知らせなくてはいけないと言って、彼女を日本に呼んで、メディアに大きく訴えようとか言って、アムネスティインターナショナルと一緒に、「こんなひどいことが起きていますよ!」と議員の人に話に行ったりとか、「NEWS23」の筑紫さんとかに働きかけたりとかして、で「NEWS23」で6分間くらい特集番組になったのね。これはね、特集番組を勝ち取った時は、かなり高揚しましたけどね。

それはスゴイことですよね・・・6分ってかなりの長尺ですからね

それで日本中の人がオゴニのことを知ることになったなあ~と。

オゴニという言葉に全く聞いたことがないという感触はないですけどね

そういうたぶん少数民族が、弾圧されているのがいっぱいあって、日本じゃそういう話をすると、[あんたは共産党か!]とか言われそうだしさ。なんかこう人権とかに対してのアレルギーとかも、いまはもうないかもしれないけど当時はまだまだあったとは思う。木俣さんが官僚出身だから、割と石橋を叩いてわたる人だから、彼女と一緒に硬派なキャンペーンをやって正解だったかなとは思う。で、対照的だったのが次の社長の蟹瀬令子さん。180度ちがうわけ。官僚と代理店出身のコピーライターだったから。それもまたおもしろかった。同じ社会問題、環境問題のテーマをね、官僚出身の人が扱うのと、代理店出身の人が扱うのは「こうも違うか・・・」みたいな。

なるほど、ぜんぜん違うわけですね?

それは・・・それがきっかけで移ることになった7年もいたからいいかなと・・

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