vol.048 貝ノ瀬滋 / Kainose Shigeru
三鷹市教育長 URL:http://www.city.mitaka.tokyo.jp/a002/p110/g15/d11000001.html
1948年北海道生まれ。 中央大学卒。電気通信大学大学院博士課程中退。 東京都内小学校教諭、東久留米市教育委員会、都立教育研究所、東大和市教育委員会、 三鷹市立第四小学校校長などを経て、現在、三鷹市教育長。地域と学校をつなぐコミュニティスクールの草分けとして三鷹市で様々な教育改革を実施。 アントレプレナーシップ教育導入の先駆者。著書に『市民が考えた不登校問題-心の叫びに答える-』(共著・教育出版)、 『子ども・学校・ 地域をつなぐコニュニティスクール』(共著・学事出版)他
こんにちは! テトルの本村拓人です!! 今号も貝ノ瀬氏のインタビューをお送りいたします。
教員になったのは二十七歳の時。当時の校長のお話で感化を受けて、教育の仕事は価値があるという風に想いを固めた。色々な子がいて、言うこと聞かない子もいて、本当に生易しくなかった。家庭の経済的な問題で子供自身が荒れるとか、そういうこともたくさん直面しました。社会の不公平さ、矛盾、政治の矛盾をすごく感じました。
それから組合運動を始めたんです。最初は正義感で、教員組合に入った。やってるうちにだんだん幹部におしあげられていく。しかしふと、寄らば大樹の陰で、大きな組織に隠れて自分は楽をしようという、大多数の先生方の姿を見てしまったんです。
やる気をなくして、ばかばかしくなりました。僕は一生懸命にやっていたのに、人にやらせておいて、自分達は隠れて関係ない。知らない振りで静かにして、校長、教育委員会にはよく思われるようにする。同時に裏では、僕らに先鋭なことを言うんです。そういうダブルスタンダードみたいな生き方を目にして失望しました。
そのときに自分自身を見つめ直し、色々考えていく中で、もっと純粋に子供の教育を目的として仕事をしてみようという心境になった。本当に子供のことを理解しようと。子供が今抱えている問題をきちんと分析して、単に政治が悪い、社会が悪いとかそういう還元主義で考えるのではなくて、本当に教育者として、自分は何ができるのか、という考えになったんですよ。
当時は政治が悪い、社会が悪い、そっちを変えなければこの子はよくならないって、今考えれば若気の至りの浅はかな時期があった。 社会の矛盾、政治の弊害はもちろんあるんだけど、今置かれている自分の立場と、今目の前にいる子供とを考えたときに何をすべきなのかと、そこにちゃんと焦点が定まってきたんです。
そういう風に現実的に考えるようになって、教材を研究し、児童理解の勉強をしたり、よく子供の話を聞いてあげたり、心と真正面に向き合うことを真剣に実践したり、十年位没頭しました。最前線で学級を持って目の前の子供たちのために働きました。
ところがだんだん教育について色々なことがわかってきて、ある程度成果があげられるようになってくると、だんだん物足りなくなってくるんですね。一学級の子供たちだけではなくて、もっと広く、一つの学校全部をもっと理想の形に近づけたい、変えていきたい、と考えるようになった。それが30代後半位でした。それで管理職になろうと思いました。
マネジメント、経営の仕事をして、先生方と力をあわせて、子供たちにとって大きな教育効果をあげる学校づくりをしたい。その時に僕はまず教育行政を勉強してみたいと思ったんです。もっと広い区域、一つの地区全体を、何区とか、何市とか、その広範囲の教育を扱う仕事で、まずは指導行政の勉強してみたいと思ったんです。
教育行政では、東久留米市の教育委員会で働いた後に、伊豆諸島の担当になったんです。島にいくと、これもまた私の幼少時代と重なり合うようなことがあった。島って裕福じゃないんです。漁業といっても、マグロみたいのがとれるわけじゃないから、細々と暮らしている。そして母親は漁業などの危ない仕事を子供たちにさせたくない。
だからそのためには学校に行かせなきゃいけない。でも島には中学までしかない。高校終わっても、大学に行かないとちゃんとした仕事につくことができない。仕事といっても、仮に高校でたとしても、島に企業は無い。だから結局本土にでてくる。事実上15歳で別れちゃうわけですよ。 高校がない場合は中学卒で本土に来る。だから15歳までの間に子供たちをしっかりと教育しなければいけない。
そのためには先生方にしっかりがんばってもらわなければいけない、という親の願いがあるんです。 だから島で釣りができるから、とかいう理由で来たような先生はすぐ排斥される。親達は必死なんです。
その代り骨身を惜しまず学校に協力してくれる。色々なことで協力してくれて、本当にそこには事実上のコミュニティスクールができている。行事をやるにしても何でもみんなが手伝ってくれる。 島でそういう人と人とのつながりを大切にした有機的な関係に出会った。
今でもどこの地域の人も同じ願い、思いを持っていると思っています。昔には戻れないけど、いつの時代も有機的な、みんなが支えあう、信じあって、励ましあって、助け合いながら共に生きていく、そういう社会は必要なんだと感じました。 そんな社会作りを担っていくにはやはり教育が重要なんです。
だからせめて義務教育の段階から地域の人たちが、助け合って、信じあって、支えあって、励ましあって、勉強できる子もできない子も、貧しい子もお金持ちも、それからお年寄りも子供たちも、障害ある子もない子も、みんなが差別されないで、手を携えあって生きていけるような地域社会をつくるために、学校が拠点になっていくべきだと思うんです。
今の日本の都市では「隣の人は何してるかわからない。」というのが当たり前の環境ですよね。隣近所の人と付き合いをしない、まったく人を当てにしないで生きていく、というすごく孤独な生活がある。でもそれは人間の生活じゃないですよね。だから有機的な人間の生活をこれからは取り戻していく必要がある。
それは昔に返ろうということではない。昔のいいものは活かすけど、封建的な昔の家制度のようなものはなくしたっていいんです。例えばよく地域社会で町会長のボスとかいましたよね。そういうタテ型ではなくて、水平的な関係をつくっていく。みなさんが助け合うような、新しい自治組織みたいな。そういう共生社会をつくるきっかけづくりの拠点として学校があるんです。
校長って、面白いことに地域にとってはよそ者。人事異動でやってきて、何年かするといなくなる。地域社会で話し合いをする中で、有力者が集まって、校長も有力者の一人として入るんだけど、話し合いがもめたりしますよね。地域の人たちは、例えば隣同士の町会長同士がもめたとして、双方面子があって譲らない。それぞれ地域の立場がある。
ところが校長はそういうときに利害関係に含まれないから、有力者の中でもより有力者なんです。やっぱり尊敬されていて、校長の言うことはみんな聞くんですよ。こっちの町会長が言ったことは聞かないけれども、校長の言ったことなら聞く、という風潮はいまだにある。利害を超えて、正論を主張できる立場にあるのです。
もちろん日頃から地域の方々に尊敬されるような、言動、ふるまいの積み重ねがあっての話ですが。 だから校長はやり方によって地域で力を発揮できる。よそものだけど、逆に地域に利害関係が無い。子供のためという大義名分で、地域の中で非常に動きやすい。そういうのはフルに活用する。だから学校づくりは地域づくりというところまで、発展させることができるんです。タウンマネージメントに関われるのです。
教育行政の中でいろんな校長先生に「あなた方の立場では地域社会の人たちを結集して、子供たちの教育のために先生方と一緒になって、よりよい教育をすることができる。だからそれやってごらんなさいと。」教育委員会にいたときは、そう説いていました。でもなかなかうまくいかなかった。しびれをきらして、いつか校長になったときに僕自身やってみようと、思うようになった。 そのときちょうど東大和市で指導室長をした後に、校長をやることになったんです。
●今置かれている自分の立場と、今目の前にいる子供とを考えたときに何をすべきなのかと
●いつの時代も有機的な、みんなが支えあう、信じあって、励ましあって、助け合いながら共に生きていく、そういう社会は必要
●共生社会をつくるきっかけづくりの拠点として学校がある
貝ノ瀬氏のインタビュー(二号)は以上になります。
次号も引き続き貝ノ瀬氏のインタビューをお楽しみください!
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Wrote 2009.01.13 << 前のインタービュー | 次のインタービュー >>