vol.100 飯島 博

NPO法人アサザ基金代表理事  URL:http://www.kasumigaura.net/asaza/

1956年長野県生まれ。
国内第2の湖、霞ヶ浦の環境再生を目標に、
独自のアイデアで様々なビジネスモデルを提案。
流域の170を越える小学校などの教育機関や企業、行政、農林水産業を結ぶ
ネットワーク事業を展開している。
市民型公共事業「アサザプロジェクト」には、
のべ16万人以上の市民が参加。先進的な取り組として注目されている。

こんにちは! テトルの本村拓人です!!
全3回でお届けするアサザ基金代表の飯島博さんへのインタビュー。今号は2回目の配信です。
前回は、アサザプロジェクトがどのような考え方で動いているプロジェクトなのかを掲載しましたが、正直言って、インタビュアーとしては困惑の連続でした。飯島さんの言葉についていくのに必死。置いて行かれてしまうこともたびたびでした。
第2回目の今回は、飯島さんの現在の人格がどのように形成されていったのかに迫りますが、こちらもかなり奇妙な印象を受けつつ、取材を進めています。
さて、読者のみなさんは思春期に、心の中にもやもやとした言葉にならない感情がありませんでしたか? そしてその感情はいま、どこにありますか? 今回のインタビューの重要なポイントは、この「もやもやとした言葉にならない感情」です。ぜひみなさんも、飯島さんが目の前で話をしている姿を想像しながら、テキストを読んでみてください。驚きや発見が、必ずあると思います。

なぜバラバラに科目を教えるのかがわからない

「言葉にならない何かにじっくり向き合ってきた」とおっしゃる飯島さん。
どうしてそのような取り組み方が身についてきたのでしょうか?
どのようなお子さんだったのか、昔の話を聞かせていただいてもよろしいでしょうか?

いいですよ。

資料を読みますと、小学校6年生の頃に受けたIQテストで、めちゃくちゃな解答を書き込んだら
特殊学級に入れられそうになったそうですが...。

そう。途中でバカバカしくなってでたらめ書いたら
特殊学級に入れられそうになっちゃったの。うふふふふ!

そもそも現在の飯島さんに繋がる考え方が芽生えたのは。
小学生頃だったのでしょうか?

そうかもしれないね。
そもそも自然は大好きだったし、自然の中でいろいろなことを想像することも楽しかったしね。
でも、本質的な考え方は中学生になってから芽生えた感じがあるかな。 中学生の頃、先生たちがわざとバラバラな授業をしているように感じたんですよ。
なぜわざわざ科目をバラバラに分けて教えているのかがわからなかったんです。アレとアレは関連があるのに、なぜ別々の授業にして教えるんだろうってね。
たとえば英語と国語。なんで別々にやるの? 別々でもいいんだけどさ。
日本語の表現と英語の表現はどんなふうに違っていて、どんなふうに似ているんだとかね。そういうことには全然触れないわけ。で、何かと言えば、「覚えなさい」とかさ。理科だってそうだよ。なんで算数と一緒に教えないんだろう。関わりがあるものごとが、みんなバラバラだよ。そのやり方がとにかく嫌だったんです。このままでは自分が壊されてしまう、と思うほどに。

その感覚はわからなくはないですが、そこまで固執するのは不思議ですね。

抵抗してたんですよ。うふふふふ。

飯島さんの要求に応えようとすると、
総合的な感覚で学習しないといけなくなるので、先生も教えることができなかったのかもしれませんね。

でも、学校教育で教えられることと、僕の感じ方は違っていたからさ。
子供の感覚ってそんなもんなんじゃないかな。オレはその感覚を、いまも捨てずに来ているんだよ。それが大事だと思うんだよね。言ったとおり、言葉にならない感覚。説明できない感覚はみんなに絶対にあったはずなんだよ。そこにとことん向き合わないと。

また哲学的な話になってきましたね。

別に哲学的じゃないよ。あるじゃない、そういう気持ち。
あの頃に感じていた気持ちって、ある意味本質に近いと思うんだよ。
でも、それってだんだんなくなってしまう。
感覚が消えていくことは怖いよね。すごく大事にしないと、なくなってしまうんだよ。

そういう感情は、じゃまだとされますからね。
難しいことは大人になってから考えなさいと親や先生に言われたりして。

でも、それは無理な話なんだよ。僕だってさんざん言われましたよ。
そんなややこしいことは大学生になってから考えなさいって。

飯島少年はしかし、あきらめなかったわけですね。
反対意見がいっぱいあるなかで、どのように世界と向き合ったのですか?

なかなか大変でしたよ、10代や20代のころはさ。まぁ、孤独でしたよね。
気むずかしいって言われてね。でも、やられたくはなかったから、鋭く生きてたよね。先生が言うんだよ。「君と話していると、カミソリの上を歩かされるようだ」なんて。負けなかったよ。うふふふふ。

(笑)親とか先生からすると扱いづらい子供だったんでしょうね。

先生はまともに議論なんてしてくれなかったよね。

そのときの言葉にならない感覚は、
いま言葉にして説明するとどのようになりますか?

もやもや。言葉にならないよ。うふふふふ!

どうやってそのもやもやと対峙すればいいんですか?

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もやもやについて考えていると、説明を求められるわけですよ。"なに考えてるんだ?"、ってさ。でも、本当に考えていることなんて、言葉になんないでしょう。すると、ウソをつくことになるよね。これ言っとけば、先生も親も納得してくれるだろうということを言うわけだ。そんなことをやっているうちに、本物の言葉を生み出してくれるはずだったもやもやという源泉を失っていくんですよ。それを失うと、社会を変える力も失われてしまう。大人の考えるものの繋がりや文脈の中に取り込まれてしまうことを意味しているからね。社会の中にある既存の関連性の中でものを捉えることしかできなくなるんだよ。それが当たり前だと思う頭が作られちゃうんだよ。
そんなんじゃ、変えられるわけないじゃん。既存の枠組みを外していかなければならないんだから。だからAからB、Cへ行くところを、いきなり、Yに行くわけよ。で、Yに行った後にちゃんと後を続けて、新しい文脈が作れることを証明していくんだよ。それを平気でやれる人間にならなくちゃ。それをやったら何を言われるかわからないなんて恐れていたら、なんにもできるようにはならないよ。 それこそゴミをひたすら拾うしかない。うふふふふ。そりゃ誰もが正しいという文脈の中での取り組みだから、誰にも怒られやしないだろう。安心してやれるだろう。それでみんなやってるだけじゃん。それをもっと社会的なことにしたって同じですよ。多少よくなるだけなんだ。悪くならないようにしているだけなんだよ。

既存の枠組みを越えて考える必要が出てきた

いまの飯島さんは、もやもやを簡単に維持することができるようになったんですか?

そうですね。僕はもやもやからものを生み出せるようになった。
もちろん中心はもやもやしていて言葉にならないままだけどね。

いまでも、もやもやの正体はもやもやのままなんですか?

説明しようと思えばそれなりに説明できなくもない。自分の物語を語れるようになったからね。
でも、それはフィクションなんですよ。そして、それでもやっぱり、もやもやしているところはあるかな。わかんないもん。

もやもやとの闘いは、その後どうなっていったんですか?

言ったとおり10代と20代は闘いだったよね。世の中は、その感情を排除しようとするからさ。
もやもやを抱えたまま、もやもやから何かを生み出そうとすれば、みんなそれを止めさせようとするんだよ。
「ちゃんとしなさい」と言ってね。そういうときには闘いですよ。いまはもう闘う必要がなくなったけど。

アサザプロジェクトがはじまった頃は、いろんなところと闘っていらしたんですよね。

1984年に「霞ヶ浦北浦をよくする市民連絡会議」という団体が出来てね、僕もそれにかかわっていたんです。
霞ヶ浦の水資源が汚れている原因をつきとめようと活動してね。市民で水質調査をして科学的な根拠を示しつつ汚染源を明らかにして、それを批判した。あてにならない行政の取り組みについてもあれやこれや批判してさ。 でも、それを10年間やってきてどうなったかと言えば、水質汚濁の原因がわかるだけだったんだよ。ひと昔前なら、どこかの企業の工場を狙いさえすれば必ず悪いところは見つかった。ところがいまはそうじゃなくなったんだよね。原因が多様に分散化して、自分たちすら原因のひとつになっている。そうすると調べてもわかるだけになっちゃった。行政に「ちゃんとしろ!」と言ったって、行政もこういう多様化した原因のひとつなわけだし、もう特定の汚染源を押さえればいいという状況はなくなってきてね。要するに社会システム全体が汚していることがわかってきたんだ。

誰も悪くない、というようなことになってきた、と。

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誰も悪くないし、みんな悪い。
そういう中で、団体の存在意義が問われるようになってしまった。
参加者もどんどん減っていく。だって調べたってよくならないんだもん。
どうしたらよくなるのか、難しくてよくわからないんだ。もちろん行政だって対応しきれません。「やることはやっているんだから」みたいな話になってしまって。じゃあどうすればいいかというと、既存の枠組みを越えて考える必要がでてきたんだ。 1990年半ば頃から、いろんなところで行き詰まり感が出てきてね。ちょうどその頃、ゼネコンの汚職事件が起きました。
それに伴って公共事業のあり方が活発に議論されるようになった。で、みんな言うわけよ、「住民参加をもっとちゃんとしてくれ」だの、「情報公開をちゃんとしろ」だのね。オレはそれに疑問を持ったの。
情報公開をいくらやったって、本質的には変わらないんじゃないかと。 悪いものをこれ以上悪くならないようにすることはできるかもしれないけれど、本当の意味での公共事業にはならないんじゃないかと思ったんだ。霞ヶ浦のプロジェクトには1兆円以上のお金を投じて、水質を浄化しよう、自然を取り戻そうってやってたけど、全然効果がないわけ。変えるには公共事業のあり方を変える必要があったんだよ。
平たく言えば、公共事業を行政から市民に取り戻す必要を感じたんだ。
そもそも地域の振興を行政が担うようになったのは近代になってからですからね。
地域を運営する専門の行政省が出来たのは、近代国家になってからなんですよ。
地域は本来は、地域住民が自治でやっていたわけ。それを国に信託しちゃったんだよ。
本当は自分たちが主権者なんだけど、行政に任せちゃったわけ。
で、行政が公共事業と称して何をしたかと言えば、めちゃくちゃなことをやってしまった。行政が信託するに値しないなら、もう一度、自分たちの手に取り戻してやればいい。それで市民参加型公共事業をはじめつつ、それに平行してアサザプロジェクトという自然再生プロジェクトを動かすことにしたんだ。
公共事業は行政に任せられないから、自分たちでモデルを作る。
で、行政には「その通りやりなさい」と指導してやるわけだ。どっちがいい公共事業ができるか、行政と競争してるんですよ。こっちがうまくいけば、向こうは真似せざるを得ないでしょ? うふふふふ。 そういう思いがあるんですよ。アサザプロジェクトのもとの部分にはね。
だから僕の中には常に、既存の行政が手がける施策、あるいは御用市民団体がやる既存の取り組み、これらに対する対抗意識があります。対抗して、少ない費用で、持続性があり、社会に対して大きな効果を及ぼせるやり方を見せつける。「同じだけの金、あるいは何十倍もの金を使ってそれしかできないの?」ってことを突きつけているんだ。うふふふふ。

その差は圧倒的なんですか?

圧倒的ですよ。もうね、行政は恥ずかしくなるんじゃない?
いまね、茨城県なんてものすごい対抗意識を持っていて必ず言うんだよ。
「県も一生懸命やってます。アサザ基金ががんばっていることは知っているけれど、県だってやっているんだ」って。そんなこと言ったってね、お前らいくらつかっているんだよって。オレらの何千倍もの金を使って、互角以下のことやっていてどうすんのって。
地域や社会を変えるには、新しい対抗軸を作らないといけないんだ。
対立したり、批判して相手を打ちのめしたりするのではなく、相手よりいいものを作り出して見せつける。モノの力で圧倒していくことが重要なんだ。いくら相手を言い負かそうが鎖つけて檻に閉じ込めようが、ダメなもんはダメなままだよ。 市民は自分たちが社会の作り手であることを自覚しなくっちゃ。そこから外れちゃダメ。
我々が作り手であり主体なんだ。行政がやることのお手伝いをしていてはダメなんだよ。行政が作る枠組みのなかに収まってお手伝いしても既存の枠組みが守られるだけだよ。自分たちで、自分たちの枠組みを作って、自分たちのやり方で、自分たちの文脈でものごとを作りだし、それをみんなに「いいねぇ」って言ってもらえるようにする。そっちのがいいんだよ。みんなが乗ってくれば、行政も一緒に歩かざるを得なくなる。

最初から自分のロジックを決めるなんて傲慢だ

本当に力を発揮するのは、モデルでありアイデアなんですね。

そう。アイデアと、それを実現させていく力だ。

飯島さんは霞ヶ浦の水質を調査する際に、自分の足で湖を4周もまわられたとお聞きしました。
それこそ、もやもやに対してのオリジナルなアプローチなんだろうと思います。
では、人を巻き込んでプロジェクトを広げていくためには、どのようなことが必要なのでしょうか?

すでに話した通り、発想の転換ですよ。言葉の読み換え、読み直し。
それをやらないと、知らず知らずのうちに自分の枠の中に人を取り込んでいくことになってしまう。
人と向き合いながら、コミュニケーションを重ねる中で、人と人との間にモノを生み出していくことが重要なんだ。言葉の新しい意味を見つけ出していくんだよ。相互作用の中でやっていくんだよ。最初から自分のロジックや流れを決めてしまうことは傲慢だよ。そういうものを持っちゃいけないんだ。持たないからこそたくさんの人が集まることができるんだよ。うふふふふ。だから研究者なんかはダメよ。研究者は自分のロジックを押しつけちゃうから。相手を自分のカテゴリーに取り込んで、全部説明しようとするから、あれはダメ。そうは言っても、もちろん彼らの力は必要だから、相互作用を起こしながら、彼らにふさわしい役割を果たしてもらうことは重要だけどね。

飯島さんのスタンスこそ研究者に近いのかと思っていました。

まじめにしゃべってるとよく言われますよ、「研究者なんですか?」って。うふふふふ。
確かに研究者の集まりや勉強会にはよく呼ばれるけどね。そういう場でものを言わされることもあるし。みんな不思議みたいなんだ。「飯島さん、どうしてそんなことができるの?」とか、「どんな視点でものごとを見てるの?」とか、研究者のみなさんが一生懸命聞いてくる。経済学者も心理学者も生態学者もね。僕を呼んで、とにかくいろんな研究者が話をするんだよ。うふふふふ。結局、みんな困ってるんだよ、総合化ができないから。で、あいつはどうしてできているんだって、研究対象になる。うふふふふ。彼らにはね、わからないんだよ。

Word of power

●感覚が消えていくことは怖いよね
●対立するのではなく、新しい対抗軸を作る
●ロジックで決めつけないからこそ、人が集まることができる

いかがでしょうか。飯島博さんへのインタビュー。
楽しんでいただけているなら幸いです。
さて、最終回である次号は、アサザプロジェクトの今後の展開についてお話を聞いています。
ますますよくわからない話になり、お恥ずかしいことに「おっしゃられていることがよくわかりません。」と言うハメになってしまいました。
読んでほしくないような、読んでほしいようなインタビューです!

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