vol.101 飯島 博
NPO法人アサザ基金代表理事 URL:http://www.kasumigaura.net/asaza/
1956年長野県生まれ。
国内第2の湖、霞ヶ浦の環境再生を目標に、
独自のアイデアで様々なビジネスモデルを提案。
流域の170を越える小学校などの教育機関や企業、行政、農林水産業を結ぶ
ネットワーク事業を展開している。
市民型公共事業「アサザプロジェクト」には、
のべ16万人以上の市民が参加。先進的な取り組として注目されている。
こんにちは! テトルの本村拓人です!!
全3回でお届けするアサザ基金の代表、飯島博さんへのインタビュー。今号はいよいよ最終号です。
「言葉にならないもやもやとした感情と真剣に向き合うこと」「社会に変革を起こすには、新しい対抗軸を作り出すこと」など、飯島さんの言葉はかなりエキセントリック。しかも、それを絵空事で終わらせているわけではなく、実践者の言葉として語ってくれているのです。
飯島さんの言葉を、実感レベルで理解できたとは思いません。インタビューの途中には、話が理解できず白旗もあげました。しかしこの刺激的なインタビューの中で、とても大きなことが学べたような、あるいは学ぶきっかけになったように感じます。飯島さんとインタビュアーが交わす言葉に、なにかしらの意味や価値は"到来した"のでしょうか?
テンション高くてすみませんが、じっくりとインタビューをお楽しみください!!
アサザプロジェクトは、100年先までのビジョンを作ってらっしゃいます。なぜ、100年も先のことまで計画に入れていらっしゃるのですか?
うん。社会システムの変換には、最低100年は必要かなと思ってね。この21世紀はかなり重要な100年になると考えているんだよ。この先、1000年、1万年くらいのことが、もしかするといま決まってしまうかもしれないとうほど、重要なときが来ています。
「100年も経つと、飯島さん、死んじゃってますよ」みたいなことを、つい言いそうになります。
必ず言われますよ。「あなた100年後死んでるじゃない」って。「責任持てるんですか」って。
それはもちろん、僕という人格を継承させるなら責任があると思うよ。その場合、僕の言いなりになるように洗脳を受けた人間を何人か作らなきゃいけないね。たとえば、ソビエトや中国みたいに。うふふふふふ。日本の政党だって同じようなところはあるかもしれないね。バカみたいだよね。
(笑)。挑発的な設定ですね。「ここ聞いて」という罠ですね。
まあそうだね。何度も言うけど、僕の人格を継承させるなんてことは、バカげているよ。そんなやり方じゃあ、新しいシステムを広げていくことなんてできない。
個ではなく、場となることで、新しい何かが生まれ、広がっていくということですよね。
重要なのは自分をどこまで場として機能させられるかなんだ。
結局、場として機能させることができれば、場は残るんですよ。僕という人格が消えても、場は残る。そういう継承の仕方をさせていくほうが、さっぱりしていていいんです。なにかを規制しながら作り上げていくなんて気持ち悪いし、いやらしいね。でも、いままで、みんなそうやってきたじゃない。で、結構、たいしたことになっていないわけだ。
場として見えない起点になりつづけなくっちゃいけないよ。人は、死んでいなくなるとね、見えない人になるんだよ。うふふふふ。人間は死ぬんだよ。死というものをどう機能させるかを考えるんだ。よくさ、あれはすごいやつだとか、100年に一人の人物とか言われたりするけれど、それではダメだね。だいたいすばらしいとか言われ続けているような人は、言われるようにしているんですよ。そして社会に引き起こしたことを陳腐にして、去って行ってしまう。そうではなく、あれは誰がはじめたかよくわからないというような広まり方。なんか新しい様式が、日本から広まっているらしいよ、というような伝わり方。「なんとかって団体がはじめたらしいよ」程度でさ、そんなんでいいじゃない。
昔の仏教の仏典にしても、もちろん誰が書いているかわかっているところもあるけれど、般若心経なんてのは誰が作ったのかわからない。もちろん誰か作った人はいるだろうけど、集団で作ったのではないかとか、いろいろ言われているよね。
誰がそれをはじめたのかわからないことが、大きな力を持たせているんだ。
アサザプロジェクトの今後の予定は、引き続き新しい社会システムの構築となるのでしょうか。
アサザプロジェクトの目的は、社会システムを再構築して、新しい社会を作っていくことだね。それってある人たちから見ると、実はとても危険な取り組みなんです。既得権益や既存の枠組みの中で、保身とか安定だとかを求める人たちから見ると危険思想なんですよね。アサザプロジェクトは。あっはははは! だから、足ひっぱられることはたくさんありますよ。誤解を受けることも多い。 僕はね、子供の感性は世の中を変えていくためにすごく大事だと思っている。大人と子供は共存しなくてはならない。社会の中で、子供と大人が共存していく必要があるんだ。これから大人になっていく子供たちも、自分の中で大人の部分と子供の部分を共存させてほしい。子供の感性を捨てずに、なにかあったときには、社会の破壊者として、そしてナンセンスの担い手として活動してほしいね。
大人の世界からは、子供の世界はつたなく見えますし、秩序もめちゃくちゃ。彼らと正面から向き合うにはエネルギーがいりそうですね。
でも、おもしろいですよ。ナンセンスな文脈っておもしろいじゃない。ナンセンスなこと思いついちゃうと、どんどん意欲がわいてくるよ。
周囲からは、拒絶というか、ヒステリックな反応が返ってきそうですね。
いいんだよ、おもしろいからさ。おもしろくってしょうがないから、どんどんどんどん作っていっちゃうんだよ。楽しいよ。むちゃくちゃ楽しいからね。ナンセンスを突きつけられると、これまでにこうあるべきと思っていたことを壊さなくてはならなくなるから、みんな怖いんだ。バラバラになってしまうと思っているんだよね。だって、行政の人たちなんかには、決まった繋がり方しかないわけでしょ? こっちはどんどん外して、繋がったり離れたりしながら、自由自在に網の目のように広がっていくんだよ。だからおもしろいんだ。アサザプロジェクトがふつうの組織と違うところは、このナンセンスにあるんだよ。
アサザプロジェクトの収益構造はどのようになっているのでしょうか?
いま、事業費は年間8千万くらいじゃないかな。お金は、寄付や会費で集まる部分もあるけれど、僕のスタンスとしては、やはり事業収益を重視しています。ウチには10人のスタッフがいるわけだから、寄付や会費だけでは限界がある。大口の寄付先があれば別かもしれないけどね。ただ、寄付や会費に頼るのはあまりよくないことだと思っている。
そこに依存してしまうと、募金が集まらなくなった時点で活動できなくなりますからね。

ま、NPOなんてのは、芸人みたいなもんだよ。昔でいえば河原乞食ですよ。河原乞食とはつまり、昔の能役者みたいなもんなんだけど、ああいう芸人だからこそ境界領域を越えた活動ができるんですよ。いろんな既存の枠組みの中で市場みたいなところで芸を披露してね。それに近いですよ、NPOなんて。ネットワークという場を舞台に境界領域を横断して自由に活動ができる。自由交通の手形をもらって、関所も抜けてさ。そして中央と地方の文化や情報を交流させて、そこからモノを生み出していくんだ。だからさ、あの時代のそうういう人たちと同じように、事業をどんどん作りだして、新しい人たちと組んで、自分たちの活動に必要なお金をひっぱってくる。それしかないでしょ。 特定のパトロンにくっついたり、宮廷に入ったりすれば、芸術は結晶化してしまう。NPOの場合は、結晶化するべきじゃないよな。うふふふふ。○○省の委託事業だとか言って、既存の枠組みの中で見栄張っているようなところがいっぱいあるでしょ。そうじゃなくて、どんどんどんどん新しい領域を切り開きながら、新しい事業のパートナーを見つける。お金を持っている企業や行政と自分たちが考えた事業を共有し合って、事業を進めるお金を集める。そういう形でいいんだ。それができるようになったら、つぶれないんだよ。 でも、つぶれなければいいかと言うと、それはそれで問題がある。問題とは組織の維持が目的化してしまうこと。組織には必ず人がいるから、そういう人たちを食わせていかないと、とか言いはじめるわけよ。そういうこと言ってるリーダーは危ないね。気持ちはわかるよ。僕のところだって、スタッフが10人いて、食わせていくのはもちろん大変だ。でも、「食わしていくのは大変」とか言っている奴は怪しいね。組織の維持が目的化している可能性がある。でもまぁ、そんな問題じゃなくて、本当に危機感を持たなきゃいけないのは、アイデアが出なくなってしまうことなんだけどね。そして自分が既存の枠組みの中に収まってしまい、枠を抜け出せなくなること。それが一番怖い。そこにこそ危機意識が必要だよ。 組織には必ず、自己防衛の意志が働くんです。職員の間には軋轢も起こる。そうこうしているうちに、「足下がおろそかになってんじゃないの?」と言われたり、「また新しい企業となにかやるんですか?」なんて聞かれて、規模が巨大化していくことに恐怖感を覚えたり。いろいろあるよね。僕はよく、こんなことを言われましたよ。「飯島、もうなにも思いつくな」って。やることが増えると怖くなってきちゃうんだよね。できっこないと思いはじめるんだ。だから、思っても言うなとか言うわけでね。でも、僕は思いついたらすぐ言いたくなっちゃう。新しいプロジェクトは思いついたら数日ではじめるよ。うふふふふ。思いついたらいろんなところにすぐ電話してさ。興奮してるから企画書もワーッと書きあげちゃう。
そんなにすぐ、いろんなことを思いつくものですか。
思いつくよ。ちょっと読み替えをすればいいんだもの。「...あの組織とあの事業はくっつかないよな。でも、ちょっと待てよ。こうやって見てみれば...、あれ、えー?」みたいな感じでさ。うふふふふ。それがわかっちゃったら、いてもたってもいられなくなる。楽しいよ。そうやって新しい文脈が出来たらさ、そこで人が働くようになるわけでしょ。 気をつけているのは、ちゃんと本業に落とし込んであげることだね。CSRや社会貢献なんてものは最後はどうでもいいんです。「ウチと組めば、本業でこれだけ儲かりますよ」ってプレゼンはやりますよ。「オタクの商品に付加価値つけてくださいよ」ってさ。環境という要素を企業の本業の中に溶け込ませていかなければ本当に社会を変えることは出来ないからさ。新しい文脈から生まれた「湖がよろこぶ野菜」ってのがあるんだけど、これなんかは普通にスーパーに並んでいて、おばちゃんとかが買ってくれている。楽しいね。 ところがそれを、「どうやって世の中を変えたらいいんだろう」とか、難しく考えすぎているよね。「どうすれば仲間が増えるんだろう」とかさ。それってマイナス思考なんだよね。そこに入り込んでしまっている人たちには無理だよ。抜け出さなくっちゃ。社会と自分たちの間に分厚い壁を作って、それを広げようとしてもダメ。領土化しようとしてはダメ。領土を作ってしまうと、相手から陣地が見えているわけだから、そこを空爆されたら一発で終わりだよ。オレたちそれを見えなくしているんだよ。うふふふふ。分散しているから見えないんだ。潜在的なものにして、どこに中心があるかわからないようにしてあるんだ。だから、いつも社会という全体を感じることが出来るんだ。
袂を分かつ人もいらっしゃるのですか?
最初の頃はいたけど、いまはもういないね。市民運動で何十年もがんばってきて、行政とも市民とも戦った。裁判もやったし、とことんやってきた。だからといって、僕は組織の人たちと仲悪いわけじゃないですよ。みんなも「飯島みたいな発想も必要だよな」って言ってくれるしね。
なるほど。...発想のヒントをお伺いしてもよろしいですか?
繰り返しになるけど、ヒントは、読み替え。
うーん。難しいなぁ。
普通にみんながしゃべっているときの言葉を、読み替えるんだって。言葉にある種の抵抗感や摩擦を感じることってない?
違和感を逃さないってことなんですか?
言葉なんてのはさ、絶対にうまくはまらないもんなんだ。こういうふうに言われているけど、自分が現場に行って確かめてみたらちょっと違うなってことがある。正確に言い切れないところがある。
精度が完全ではないということは理解できますが...。
僕が言っていることがよくわからないみたいだけど、意味を考えてみたらいいよ。あの感じ、捉えられない感じは、いったいなんなんだろうって。言葉じゃなくて考える。これも繰り返しになるけど、音楽とか絵画とかでもいいかもしれない。ますますわけわかんない?
わからなくなってきました。
うふふふふ。でもね、煙に巻かれるくらいのほうがいいんですよ。僕が逆に腑に落ちることを言ったら、それは僕がウソをついているってことかもしれないよ。そういうふうに思わせようとしているんだよ。そんな一方的な話じゃ、何も起きないじゃない。人と話をするときには、僕の中に何かが起きてほしいと常に思っているんだ。最初に言ったと思うけど、人と人の間に浮かんだ言葉に、何かが到来すればいいなって思ってる。もちろん、相手にも到来してほしいんだよね。僕が誰かと話をして変わっていき、あなたと何か話したなら、僕とあなたが変わっていく。言葉に新たな意味が到来すれば、何か変わるわけ。それが本来のコミュニケーション。対話することで人から人へと何かが起きて、伝わっていく。起きるには場が必要だから、自分がその場になるんですよ。そしてそれが連鎖的に起きたとき、世の中は変わる。これはね、これまでに世の中に変革を起こしてきた考え方とは全然違う発想なんですよ。全然違う。うふふふふ。イデオロギーだとか、主義主張だとか、そういったものとは違ったものなんだよ。連鎖なんだから。連鎖的に変わるんだ。場の連鎖で変わるってこと。
根底にイデオロギーは必要ではないんですか?
いらないよ。結局いま、多様性の社会でしょ。多様で分散している個によってつくられている社会なんだ。別の言い方をすれば、ひとりひとりが孤立しているわけだ。地方も一緒。お年寄りが孤立していて、子供も孤立している。そういう社会はよくないんですよ。そんな社会にイデオロギーを持ち出して、やれ昔にもどればいいとかさ。退屈じゃん、そんなの。人類みな兄弟みたいな話になってくるんでしょ? そんな気持ち悪い話ないよな。家族みたいな関係性で人間が集まるなんて、考えただけでも恐ろしいよ。 霞ヶ浦にも「霞ヶ浦家族」って言っている連中がいるんだけど、オレは入らないよ、恐ろしいから。家族にしないでほしいね。どうせ、「みんな家族なのに、お前はここが違う」なんて言われるのがおちだよ。それって排除なわけですよ。だから、同一のものでみなをくくろうっていう発想は怖いんだ。同じ目標を持った仲間、共鳴しあった仲間同士が集まったって結局ダメなんだよ。
飯島さんは教育の方面には進まないのですか?

僕がいま一番力を注いでいるのは、時間的にも労働的にも教育ですよ。普段の僕の生活は毎日授業。年間に、延べで1万人を越える子供を教えてるんだ。恐ろしいほどがんばってるでしょ? そうやって毎年毎年キケン思想?を持った子供を育ててるんだよ。うふふふふ! 中心をどんどん分散して溶かしてるんだよ。そのうちなにもまとまらない世界になるな。僕は、多様に分散化した個による社会を否定していないんですよ。それを否定してしまうと結局いまの社会を本当に変えてることにならないじゃん。 無理矢理くっつけたり無理矢理同じもにすることは不可能だ。結局のところ僕らはね、みんなが一緒になって、オリンピックみたいにワーワーやってる世界に憧れているんですよ。本当は違う次元の世界に入っているんだけど、意識がついていかないんだ。でもね、それはそれでいいんだよ。そこでコミュニケーションをはかっていくなかで、バラバラになったものに相互作用が働き、さらにものごとが複雑になる。そもそも相互作用を起こしているのは、全部個なんだからね。これから、もしかしたらさ、すごいエネルギーが出てくるんじゃない? うふふふふ! そういうのがおもしろいよ。みんなの頭はついてってないけれどさ。 もうそんなことになっちゃったら、バラバラになって、乱れちゃって、どうしようもなくなっちゃうんじゃないの? ところがね、バラバラになったって世の中って実は乱れないんだ。なぜか、無秩序にならないものなんだよ。いまだってそう。こんなに混沌としているのにね。みんな複雑な生活をしていて、場面によって自分を使い分けているとか言いながらも、ちゃんと成り立たせているじゃない。個はバラバラなんだけど、でもそれぞれが関わらずには生きていけない。そんな状況の中で、みんな、狂ってしまわずにやっている。これも、ちょっとポジティブな見方をすれば個々の人格が出会いの場になっているわけだ。だから、みんなで良き出会いの連鎖を起こしていけばいいんだよ。そんなふうにして、バラバラの中から秩序って生まれてくるんだよ。うふふふふ。
もう、何をおっしゃっているのか、わかんないです。ワハハハハ。
うふふふふ。そういう発想の転換をしていかないと、すぐにはまっちゃうんだっての。市民団体がやっていることや行政がやっていることに。そうするともう何も思いつけなくなる。何も新しいものが発想できなくなっちゃう。だから、常に逃げる。うふふふふ。逃走精神、外す、読み替え、中心をぼかして拡散していく。ワハハハハハ! これを常に! 毎日! 生き生きと! アハハハハ! ...子供と付き合っているとそうなるよ。子供と付き合っているとそれが維持できる。特に学校へ行くとしっかり外されるから。外されたときの対処の仕方が問題なんだ。つまり、喜んで真っ白になるっていうこと。意表を突かれるのはおもしろいことだよ。
子供にがっつり付き合うと体力的にへとへとになってしまいそうですね。
疲れるよ、いい感じでね。
何十人もいる子供たちのナンセンスに付き合うのは大変ですよ。
体力いるけど、楽しいよ。それでも「君なんでそんなこと考えるの?」っていちいち聞いてまわる。霞ヶ浦にトキを100年後に呼びもどすってプロジェクトをやっているんだよ。子供たちにはトキのことを教えずに、「絶滅したと思われていたけれど、実は生き残っていた生物が佐渡で見つかりました。さて、なんでしょう?」と聞いてみたら、子供のひとりが「ジェンキンスさん」だって。これは爆笑もんだったね。うふふふふ。これは忘れられない。結構あるんだよ、そういうのが。とんでもない発想だね。 ところがね、それでいて、子供は既成概念とか常識にすごく捕らわれてしまっているんだ。大人が教えるし、情報も氾濫しているからね。「最近、メダカがいなくなっちゃっています。どうしてかわかる?」って聞いたら、「はい。地球温暖化のせいです」なんて言うんだ。それで、「地球が温暖化したら、どうしてメダカがいなくなるの?」って聞いたら「温暖化して川が熱くなり水が蒸発して、メダカが住めなくなるからです」だって。うふふふふ。「そうか。ずいぶん昔から温暖化って進んでたんだね。そのうち、川も海も蒸発して、みんないなくなっちゃうわけね」なんて言ってあげるんだけどさ。みんな温暖化温暖化って本当によく言うんだよ。常識で頭を固められてしまっている証拠だね。だけど、ときどき外れちゃうんだよ。ロジックが全部頭に入っているわけじゃないし、そもそもよくわかっていないから。たとえば温暖化なら、"温暖化"という言葉だけが入ってたりする。それでときどきネタがつきると、ポロッと変なのが出てくるわけだ。 子供とコミュニケーションするときは、自分を開いていれば疲れないよ。みんなの場となるように開くんだ。がちがちに固めてると、「オレは準備していたのに、そんな奇天烈なこと言われたら、次に何をやっていいのかわかんない」みたいなことになるわけでしょ? 子供に外されると何話していいかわからなくなる。自分が用意したものをその通りパッケージとして受け止めてくれないと困ってしまう。それは対話でもないし、相互作用でもないよね。ビデオでいいじゃん。何も起きないよ。
柔軟に構えることが重要なんですね。
企業と組んで進めるプロジェクトを思いついたとして、これいけるなとわかるのは、僕の中で起きたことがあるからなんだ。だからプレゼンの前には、別に準備なんてものもしていかないんだよ。本番で話している最中に、どんどんいろんなことを思いついていくんだからさ。それで思いついた考えをしゃべっていると、相手にも何かが起きはじめる。想像していたものとは違う展開になってきたな、と思っていたら、僕と相手の間に、つまり言葉に、何かが到来する瞬間がある。ここにたどり着いたか、すごいなぁこれは、となる。当然、相手も気がついているわけ。なにか起きていることにね。そして、「あ、これいただきます」というふうになるんだ。 つまり僕自身、もやもやはあってもよくわかっていないわけ。その前提のまま相手とやりとりをして、まず自分のなかで何かが起きなきゃダメなんだよね。プレゼンをしていて、"ああ、今日はすごいことが起きているな"、"こんな言葉がオレから出てきちゃうんだな"って瞬間がある。ちゃんとコミュニケーションが出来ていれば、相手もその感覚を共有できるんだ。これはね、理解を越えたところにあるんだよね。理屈を越えてしまう。そしたら相手だって実感としてわかるわけだから、受け入れざるを得ない。それがプレゼン。懇切丁寧に説明するようなプレゼンはダメ。相手の中に何かを起こさなくっちゃ。
それは誰にでもできるようになるものですか?
ならない。頭が固いと無理だ。説明になってしまう。ほとんどの人がやっていることは説明ですよ。いろんな人と出会っても、仕事をどれほどこなしたとしても、説明ばかりですよ。プレゼンのためのすばらしいマニュアルがあれば、そのやり方に従って何かが決まっていくこともあるだろうけど、本当に新しいものは生まれないね。
新しい何かと言っても、当然、奇抜であればいいというわけでもないんですよね。
奇抜はダメなんだよ。最初から奇抜にしようとしてるだけだから、何も起きない。"これは奇抜ですよ"ってものを提示しているだけだから。必要なことは、普通なものの中にもこういう見方もある、こういうふうに見えることもあるんだってことを、ハッと気づかせる。それが実はものすごい新しいやり方なんだ。奇抜以上ですよ。
飯島さんは、普通ではない特殊な人なんですか?
僕はまったく普通の人ですよ。人間の普通の能力を普通に使っているだけ。一般的な人たちは、人間の普通の感性を、世の中に合わせるために自ら阻害しているんです。僕だって普通に足踏まれりゃ痛いし、おかしい人がいたら笑う。みんなそういうのを抑えてるでしょ。もちろん、複雑な要因がたくさんあることは知っているけどさ。僕はそういう意味では、当たり前に感じて、当たり前に接するだけ。人がこんなふうに言ってるからこうしようとかは思わない。自分の文脈でものを言うだけ。 なぜか、みんなそれができないんだ。そのくせ、それを無理矢理にカタチにしようとする。そういうことのほうがふつうじゃないんじゃないの。あの人はすごい人だとか、すごいリーダーだとか思わせたり、すごい組織だと錯覚させる、そういうほうが変だよ。普通の言葉で専門用語使わずにやってほしいね。本来、人間がなんのために生きているかと言えば、会って、話をして、そこでなにが起きるかってことなんだよ。当たり前のことなんだよ。無理する必要もないし、あせる必要もないんだよ。
●誰がはじめたのかわからないことに、力は宿る
●誤解を受けることもあるし、足をひっぱられることもある
●発想の転換をしないと、すぐに取り込まれちゃうよ
飯島氏のインタビューは以上で終了です。
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Wrote 2009.01.13 << 前のインタービュー | 次のインタービュー >>