vol.102 下澤嶽
JANIC事務局長 URL:http://www.janic.org/
1958年8月 愛知県生まれ。
1982年4月 大学卒業後、英国のCSV(Community Service Volunteers)の1年間ボランティアに参加。
1984年6月 帰国後、日本青年奉仕協会、世田谷ボランティア協会を経て、(特活)シャプラニール(=市民による海外協力の会)の駐在としてバングラデシュへ。
1998年7月 再び国内に戻り、シャプラニールの事務局長に就任。
2002年7月 シャプラニールを退職。
2006年7月 (特活)国際協力NGOセンター(JANIC)事務局長に就任し、現在に至る。
こんにちは! テトルの本村拓人です!!
今週は4回にわたり、JANICの事務局長・下澤 嶽さんにお話を伺います。
JANIC(ジャニック)の正式名称は、非特定営利法人活動 国際協力NGOセンターです。公式ウェブサイトでは、NGOを支援するNGOと自らを呼び表しています。
NGOを支援するNGOとは、一体どういうことなのでしょうか? 今回のインタビューでは、事務局長を務める下澤さんに、ジャニックの活動内容についてお伺いしました。また、下澤さんはボランティアに生きる道を選んでおよそ30年、つまりこの業界の草分け的な人物のひとりでもあります。
現在より、ボランティアという概念が浸透しておらず、まわりからの理解も得られない中で、なぜ下澤さんは道を切り開いていくことができたのでしょうか。ボランティア活動とはなにか。そして、それに向き合うということは、果たしてどういうことなのか。"元祖"だからこそ語ることのできる、時代の流れの重みから、その意味を感じてみてください。
第一回目では、下澤さんがボランティア活動に目覚めるまでの経緯をお伺いしています!
それではまず、下澤さんがボランティア精神に目覚めたきっかけを教えてください。
私は今年で50歳になりました。国内外のNGO団体で20年働き、その前は8年ほど、国内のボランティア団体で働いてきました。よく誤解されるのですが、その経歴を聞いたみなさんが私に「信念のある人なんですね」とか「理想を持って生きてらっしゃるんですね」などとおっしゃる。でも、そうではないんですよ。それを説明させていただきますね。そうすれば、私のボランティア論に自然に繋がっていくと思いますので。 私は学生の頃、ロックバンドを組んでいました。音楽に燃える青年だったんです。音楽、とくにロックには時代に対する反骨精神のようなものが反映されますから、そういった意味で、社会に対して無関心だったわけではないと思うのですね。しかし、社会問題についてどれほど知っていたかと言われても、それこそ雑誌に載っているようなことを知っていただけ。いまではノンポリ(政治や学生運動に無関心であること)という言葉は聞かれなくなりましたが、たいした政治社会に対する意見なんか持っていませんでした。
ちなみに、音楽はいつごろからやりはじめたんですか?
音楽との関わりは、かなりと古いですよ。私は田舎町に住んでいたのですが、6歳の時たまたまオルガン教室の1日体験教室が開かれたんですね。みんなが楽しそうにオルガンに触れるのを見ると、やっぱりやりたくなるもので。「オルガン教室やってみたい」なんてことを父親に言ってしまい、毎週土曜日の午後2時からクラシックピアノの教室に通いはじめたんです。小学校1年生くらいの頃でしたね。 ところが、通いはじめるとそのうち嫌いになってしまって、当然ですが落ちこぼれてしまったんです。ふつう、ちょっと優秀な子なんかは、1年ほどでバイエルを終えて、チェルニーに入り、組曲もやるわけです。私はと言えば、6年間費やしてもバイエルが終わりませんでした。「辞めたい」と父親に直訴したこともありましたが、頑固な人で「自分でやると言ったことは、最後までやり抜け!」と取り合ってくれません。しかたなく通ったのですが、嫌でしたねぇ。 土曜のお昼過ぎといえば、子どもにとってのゴールデンタイムですよ。仲間はみんな、サッカーをしたり、魚釣りをして遊んでいる。ピアノ教室の生徒は、女の子がほとんどでしたしね。
それは確かに辛いですね(笑)。
小学校を卒業して、ようやくピアノ教室を辞めさせてもらったんですが、音楽自体が嫌いだったわけではないので、中学生になってからはギターをやりはじめました。今度こそ、自分の意志ですね。我流で学び、中学、高校、大学でも弾いていました。まわりのみんなから「上手だね」と誉めてもらえることも多くて楽しかったんですね。音楽は向いているのかなぁとぼんやりと思っていました。だから、音楽が社会問題に目覚めるきっかけになったというわけでもないんですね。
下澤さんが学生の頃といえば、1970年代の終わり頃でしょうか。もはや学生運動は下火だったんですか?
学生運動がもっとも盛んだったのは、私より10年ほど前の世代になりますね。しかし、大学にはそんな雰囲が多少残っている部分はありました。しかし、内部抗争が続き、それぞれの運動グループが内向的な活動をしているといった状況でした。そういった学生はほんの一部で、学生の99パーセントは、海外に旅行へ行ったり、アルバイトをしたり、デートを楽しんだり、車を買って乗りまわしたりと、学生生活を楽しんでいたんじゃないでしょうか。
なるほど。では、ボランティア方面へ向かうきっかけは、どのようなものだったのですか?
実は、私が学生の頃によく付き合っていた連中が、実は残り1パーセントに数えられるような人たちだったんですよ、やれ、マルクス主義はどうだ、とか、ややこしい政治の議論をするような(笑)。 通っていた大学が実家から近いこともあり、私は大学生になってからも親と暮らしていたのですが、ずっと親元を離れたいという思いがありまして、友人に紹介してもらった安い寮に引っ越すことにしたんですよ。そこには100名くらいの学生が住んでいましたが、住んでいる7割りくらいの人間が、なんらかの形で学生運動に関わっていたんですね。そんなわけで付き合いがはじまったわけです。 そこで交わされる言葉は、私にとってものすごく新鮮な響きがありました。マルクスはどうだ、レーニンはどうだ、資本主義はなにかなど、これまでまるで関心を持っていなかった話題が飛び交うわけです。なにもわからなかった私は、自分のことをとても恥ずかしく思いました。 それで私も勉強をして、彼らが参加する集会などにも顔を出していたのですが、彼らは私のことを、すぐに政治活動グループに引き入れようとするので困りました。つきあっていってわかったのですが、彼らが話す言葉には実は受け売りが多く、リアリティが感じられないことにも気づきはじめたんです。国内のさまざまな社会問題に関して意見は言うのに、実際に現場に足を運んだ者はひとりもいなかったりね。
彼らの組織に所属することはなかったのですか?
そうですね。納得できないと入らないたちなんですよ。しかし、楽しそうに学生生活を送っている残り99パーセントの人たちに対しても同様の気持ちを感じていて、そちらにも自然に接することができませんでした。一見みんな浮かれているんだけれど、どこか生きる実感を見つけられずにいるような、そんな空虚な気配を感じていたんです。 そんなとき、ある友人から、「障害者が集まるイベントがあるから、手伝いにきてれくないか?」と頼まれ、その誘いを受けたんですよ。まだその時代は、街で障害者に出会うことってほとんどなかったんです。重度の障害者は就学免除の制度が適応されていて、学校に行かなくてもよかったんですよ。おまけに、障害者には障害者用の離れた施設に遊離されていましたから、街でめったに見かけないのも、当然と言えば当然でした。
知らないからこそ、興味を持って参加したのでしょうね。
そうでしょうね。彼らと最初に会ったときには驚きました。確か20人くらい集まっていたと思うのですが、そもそも私が住む街に、こんなにたくさんの障害者がいるなんて想像もしていなかったので。 私は彼らの介助をする役割りだったのですが、関係の持ち方の距離感が最初掴めなかったんですね。どう接していいのかわからない。かわいそうに思えばいいのか、そんなふうに思わないほうがいいのか、とかね。しかし、一時間もすると、だんだん慣れてきました。介助するなかで、言葉をかける必要も出てきますし、彼らから声をかけられることもあります。そのうち「いまおいくつなんですか?」とか「学校には通ってるんですか?」など、雑談もするようになるんですね。 集会が終わる頃になって私が感じたのは、"なんだ、彼らも障害を除けば普通の人となんにも変わらないじゃないか"ということ。テレビの話もするし、冗談を言ったり、笑ったりもするんですよ。コミュニケーションを通じて、障害者を身近に感じたとき、私の中で何かが弾けました。
何かとは、なんでしょうか?
そうですね、目の前の世界がパッと広がっていくような、そういう感覚でしょうか。単純に私は物事を知らないだけで、世界はすごく広い。でも、知らない世界だって、別に特殊なところなんかではなくて、そこへ行こうと思いさえすれば、行くことができる。そんなことがわかったような気がしたんです。 「レーニンが、マルクスが」なんて話に、僕がどうもしっくりこなかったのは、その言動と日常の生活との間に距離がありすぎたからだったんですね。そんな離れた世界に行かなくても、身近なところに知らない世界があり、私が直接手を貸すことができるかもしれないのです。私にとっては、手が届く新しい世界のほうが分かりやすかったんです。「リアル」な世界の方が、私を動かしたと言えます。それで、障害者の方々に関わる仕事に就けないだろうか、と考えるようになったんです。
なるほど。ボランティア活動に一気に目覚めたわけですね。
私が住んでいたのは愛知県の小さな町でしたが、調べてみると、障害者のネットワークがいくつかあることがわかりました。それで彼らの集会に積極的に顔を出すようになったんです。しかしその頃は、同級生のみんなが就職活動をしている時でした。私は将来の就職をどうするべきか、いろいろと悩むようになりました。 ボランティアへの目覚めという意味では、大学二年生が終わるくらいの時期に、旅行で1ヶ月ほどインドに行った経験も影響しているでしょうね。開発途上国の貧困などの問題を抱えつつ、それでも圧倒的に力強い彼らの熱気に直撃されて、私の内面はかき回されました。そのときに心に植え付けられたもやもやとした種が、障害者との出会いによって芽吹いたという感じですね。
●学生の頃は、たいして政治に興味なんてありませんでした
●政治の議論に、リアリティが感じられませんでした
●手の届く新しい世界のほうが、分かりやすかった
友人が交わす政治談義に、どこか空虚なものを感じていた下澤さん。しかし、障害者との触れ合いの中で、リアルな何かを発見していきます。直接的な体験こそ、人生に大きな影響を及ぼすというのは、この連載を通じて、さまざまな人から語られた言葉です。みなさんも、気になるセミナーやワークショップがあれば、思い切って参加してみてはいかがでしょう? 次号は、ボランティアの世界でも迷い続ける下澤さんの葛藤をお届けします!
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Wrote 2009.01.31 << 前のインタービュー | 次のインタービュー >>