vol.103 下澤嶽

JANIC事務局長  URL:http://www.janic.org/

1958年8月 愛知県生まれ。
1982年4月 大学卒業後、英国のCSV(Community Service Volunteers)の1年間ボランティアに参加。
1984年6月 帰国後、日本青年奉仕協会、世田谷ボランティア協会を経て、(特活)シャプラニール(=市民による海外協力の会)の駐在としてバングラデシュへ。
1998年7月 再び国内に戻り、シャプラニールの事務局長に就任。
2002年7月 シャプラニールを退職。
2006年7月 (特活)国際協力NGOセンター(JANIC)事務局長に就任し、現在に至る。

こんにちは! テトルの本村拓人です!! 全4回でお届けするジャニックの事務局長、下澤さんのインタビュー。今号は第2回目です。 生きているとたびたび、人生における重要な選択を迫られることがあります。そのときに、いったい何に耳を傾けるべきなのでしょうか。世間一般が認める価値観? それとも、友人のアドバイス、あるいは家族の助言、さらには人生の先輩からのメッセージ? それらを総合したときに、果たして自分の内からは、どんな声が聞こえてくるのでしょうか? どれほどたくさんのアドバイスに耳を傾けても、最後に道を選び取るのは自分自身にほかなりません。そして、選択が正しいのか、正しくないのか、それは進んでみなければわからないのです。周囲から反対を受けながらも、未開の地へと足を踏み出していく下澤さん。未知なるものへの恐怖心をどのように振り払うべきなのか。今回のインタビューには、そのヒントが散りばめられています。

資格を取るよりも、世界を肌で感じることが大切

就職先については、どのように検討していったのでしょうか。

障害者に関わる道を選ぶとなると、たとえば養護学校の先生になるとか、障害者施設で働くといった選択肢がありました。となると資格が必要ですので、"取得しなければいけないなぁ"とぼんやりと考えていたんですね。その時はもう大学4年生ですから、留年でもするか、また他の大学へ進学しなおすしかなかったんです。 進路についてはいろいろと悩み、たくさんの人に相談もしました。その中のひとりに、将来を決定づける発言をした人がいたんです。その人は私の親戚で、独立後のバングラデシュに滞在し、帰国した後にシャプラニール(※市民による海外協力の会)という団体の設立にかかわった人でした。 資格を取るべきか悩んでいた私にその親戚は「こじんまり資格を取ったところでボランタリズムの本質は見えてこないぞ。もっと大らかに、大胆にやれ」と言うわけです。私はガーンとショックを受けました。「資格を取ることなんかより、世界を生身で知ることのほうが大切だ。もっとダイナミックに学ぶんだ」と、そういうことを言われたんですね。

ダイナミックな勉強ですか。世界に飛び出せ、ということなんでしょうか。

そうですね。実際私も、資格を取ったりすることが最善の策ではないような気がしていたので、その言葉にはとても惹きつけられました。 しかし、どうすれば、ダイナミックに学ぶことになるのかがよくわからない。するとその親戚が、イギリスにあるCSV(Community Service Volunteers)というボランティア団体を紹介する、と言って、口を利いてくれたんです。CSVは、ボランティア業界の中では、先駆的な活動をしていることで有名な団体でした。本当はイギリス人しか活動に参加することはできなかったのですが、興味を覚えた私は、可能性にかけて面接を受けてみることにしたんです。それが本当のはじまりですね。

社会批判をしていたのに、なぜ普通に就職できるんだ!?

CSVのどのような活動が先駆的、と評価されていたのですか?

福祉施設やボランティア団体などの派遣先に長期滞在してボランティアを行うスタイルが、当時はまだ珍しかったのですが、それを先駆けて実践している団体として注目されていました。わかりやすいたとえで言うと、青年海外協力隊なんていうのは、外国に長期滞在しますよね。そういう仕組みを最初に作った団体だったんです。 イギリス国内でボランティア派遣を行うのがこのCSVで、これ以外にも海外にボランティア派遣を行う団体でVSOというのがあります。VSOは後に、アメリカの平和部隊や、日本の青年海外協力隊のモデルとなりました。要するに老舗のボランティア団体だったわけです。

大学のときの仲間は、普通の就職先を選んだと思うのですが、下澤さんはよく単身海外に行く決断をくだしましたね。

理屈ではないんですよね、そのあたりについては。ただ、仲間たちの就職については少し複雑な思いで見ていました。学生運動の時、あれだけ企業を批判したりしていたのに、どうしてなんの抵抗もなく企業に就職できるのか。彼らも本当は迷っていたんだ、自分の言葉を言ってなかったんだとしみじみ思いました。私は、自分が感じ、自分が実践し、いつも等身大の言葉で生きていきたいと思いました。

その選択は、怖くなかったのですか?

怖いですよ。すごく怖いです。ほとんどの人がそういった就職していましたから。まわりの人に、「将来はどうするつもり?」と聞かれて、「ボランティアをやるんだ」と言うと、「えっ!?」とか「本気かい?」なんて言われましたし。当時、いや、いまもまだ言えることですが、日本社会ではボランティアには献身的なイメージや滅私奉公的なイメージがついてまわります。よほど覚悟のある人間でないと、務まらないと思われがちなんです。両親にも「お前なんかにボランティアが続けられるもんか」なんてひどいことをよく言われましたよ。そういった人たちに、言い訳しながら、反論しながら、とにかく一年間、CSVで働きました。

CSVでは、生き甲斐を感じられたのですか?

いや、それが、苦労の連続だったんです。施設では、身体障害者の人のお世話をしていたのですが、毎日毎日同じ人と顔を合わせるんですね。介護をして、相手が喜ぶと自分も嬉しいといった感性が乏しかったのかもしれません。その仕事が性に合わないところがあり、10ヶ月目に辞めることにしたんです。これはもう、ものすごい挫折でしたね。 私がやりたかったのは、毎日コツコツ障害者の介護をして生活を支えることではなくて、障害者に対しても自立を促すようなアプローチ、つまり社会運動がやりたかったんです。私が派遣された場所は、障害者たちの生活の場であり、毎日が平穏であればいいと考える人たちです。そういった私の焦りや苛立ちのようなものと、実際の仕事内容との違いが次第に私を追い込んでいったんだと思います。

落ち着ける場所は、いまだ見つからず

周囲の反対を押し切ってまではじめたことですから、これは落ち込みますね。

ショックでしたね。それで私は、その活動に区切りをつけて、とりあえず世界を旅してまわる選択をしました。よくある貧乏一人旅ですね。今さら、日本で就職活動をしても新卒ではないし、私のような経歴が評価されるとは思わないし・・・・思っていました。一年かけて、ヨーロッパやアフリカをまわりました。旅をすると、いろんなことを考えるんですね。"私がやりたいと思っていることはなんなのだろうか"ということを、ヨーロッパの風景を見ながら考え続けていました。しかし、旅をしているだけでは答えは見つからない。 答えが見つからないまま、祖父が倒れたという知らせを聞き、私は旅に終止符を打ち、日本に戻りました。そうこうするうちに父も倒れ、祖父や父親の介護をしたり、家を切り盛りして忙しくしていました。しかし本当はもう一度ヨーロッパに戻り、旅を続ける計画をしていました。しかし、日本で数ヶ月暮らすうちに、「旅からは何も見つからない。できることをまず小さくてもやってみよう」と考え直すようになりました。これまでのような福祉施設の仕事ではなく、ボランティア活動を促進する拠点で働けないだろうか、と思いつきました。 それで、CSVを紹介してくれた日本青年奉仕協会に、「いろいろ悩んだあげくCSVも辞めてしまったが、もう一度、一からボランティアを日本に広げる活動に関わりたい」といった内容の手紙を書きました。「私は、みなさんの組織に一番興味がある。もしよければ、何か仕事を紹介してもらえないだろうか」と。返事が来て、私はその組織にアルバイトで採用になりました。25歳のときですね。田舎から東京に出て、初めて給料をもらって、ボランティア組織で働くことになりました。それから、田舎へは戻らず、ずっと東京で生活しています。

ついに落ち着ける先を発見したわけですか。

それがそうでもないんですよ。日本青年奉仕協会で1年働いたあと、別の国内ボランティア組織で4年半働きました。しかしどちらも行政の外郭団体だったので、行政に近い立ち位置なんです。決済にも時間がかかるし、行政の方ばかり気にしている。そんな組織の堅さを自分の中で納めることができない。海外で体験したいろんなことが、きっと私の中に国際感覚を植え付けたのだと思うのですが、このまま日本で活動していていいのか、と思うようなことがどんどん増えてきてしまったんです。 行政に近い組織で、安定した生活をするよりも、国際的でもっとアップテンポな活動がやりたくなってきた。きっと、国外に出ている緊張感が好きなんですね。そんなときに、親戚がかかわっているシャプラニールから「駐在員をやらないか?」と声がかかったんです。そのときには、私はすでに結婚していて、子供もいましたから、リスキーな決断だとは思ったのですが、バングラデシュに行く決意をしました。

Word of power

●もっとおおらかに、大胆に行動しろ
●身体ひとつで、何かをつかみ取ってやる
●迷ったあげく、リスクを取った

次号は、シャプラニールでの活動や、自らの理念を体現したジュマ・ネットの設立などについてお話をうかがいます。自らへの強い挫折を感じながらも、下澤さんは内なる声に耳を傾け、現場に自ら赴くことを辞めようとしません。下澤さんが求めている社会との関わり方とは、どのようなものだったのでしょうか?

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