vol.104 下澤嶽
JANIC事務局長 URL:http://www.janic.org/
1958年8月 愛知県生まれ。
1982年4月 大学卒業後、英国のCSV(Community Service Volunteers)の1年間ボランティアに参加。
1984年6月 帰国後、日本青年奉仕協会、世田谷ボランティア協会を経て、(特活)シャプラニール(=市民による海外協力の会)の駐在としてバングラデシュへ。
1998年7月 再び国内に戻り、シャプラニールの事務局長に就任。
2002年7月 シャプラニールを退職。
2006年7月 (特活)国際協力NGOセンター(JANIC)事務局長に就任し、現在に至る。
こんにちは! テトルの本村拓人です!! 全4回でお届けするジャニックの事務局長、下澤さんのインタビュー。今号は第3回目です。 さまざまなボランティア団体への所属を繰り返し、本当に力を注ぎたいボランティアの形を模索する下澤さん。若い人のなかには、自分のやりたいことが見つからず、不安に思う人もたくさんいるとは思いますが、下澤さんの話を聞くと、それほど早くに自分を固める必要もないのではないか、と感じます。大切なのは、興味を持って世界に触れ、その中で得たことで、さらに深く自分を見つめていくことなのではないでしょうか。 今号では、下澤さんをボランティアの道へと誘ったシャプラニールのお話です。先進的な活動で徐々に注目が高まり、満足のいく活動ができていたはずの下澤さんの心には、またしても疑問が浮かびはじめます。 "居心地のよいポジションに身を置くことは、堕落だと思いました"と、語る下澤さんには、もしかすると安住の地などないのかもしれません。そして、新しい時代を切り開くパイオニアには、常にそのような精神が必要なのだと思います。
シャプラニールは確か開発系のNGOですよね。
そうですね、国内では学びの場を設けるなどネットワーク作りなど、そして海外ではとくにバングラデシュやネパールで自立支援を行うなど、活動は多岐に至っていますね。私はバングラデシュで5年、それから日本に戻って10年の計15年ほどお世話になりました。
下澤さんご自身は、どのような活動に取り組まれたのでしょうか。
シャプラニールは当時、バングラデシュの農村地帯にいる貧農の生活改善しようと力を注いでいました。たとえば農民組合を作らせて、貯金をさせるだとか、教育の機会をつくり生活能力を高めて、いつか自立した生活ができるようにするなど、地道な活動を行っていたんです。 暮らしよくするのは、シャプラニールではなく、貧農自身です。20人ほどのグループで会議をする場を作って、そこで彼らが自主的に話し合いをすることで物事を決めるスタイルを採用していました。
現地で活動するシャプラニールのメンバーは何名くらいいたのですか?
当時、だいたい60名くらいの雇用されたスタッフがいました。活動をしている貧農は約1万人くらいいましたでしょうか。その人数で5つくらいの村を分担して担当するのです。それぞれの村を訪ねて、決めたことがうまく機能しているか、村の人たちから話を聞いたりしていました。その時代で、ここまで現場に深く入る日本のNGOはあまりなかったのではないでしょうか。そうした姿勢が評価されて、同様の住民グループを通した活動を行う団体が増えてきたのは、90年代になってから。簡単に言うと、シャプラニールは10年早かったんですね。 だから、変な言い方ですけど、現場のことで負けない自負はありましたよね。どうやって村人の中に入ればいいのか、とか、そこでどのようにコミュニケーションを取り、あるいはどのように管理していくのか。そのあたりのことはよくやりましたから。
自立支援のための方法論はかなり学べた、と。
農村の開発において、自発的な農民のグループを作るというやり方自体は、シャプラニールだけのオリジナルではありませんでした。ただ、シャプラニールが他のNGOとは異なっていたのは、駐在員がみな現地の言葉を覚えて、住人たちと非常に密なコミュニケーションを重ねていったこと。 シャプラニールの駐在員は、現地の言葉がわかるので、とにかく情報伝達のスピードは早う、地元の人々との交流も深かったですね。こういった地道な努力に対して、評価されていた感もあります。
当時のバングラデシュの貧困に対して下澤さんはどのような感想を抱かれていたのですか?
そうですね。バングラデシュは人口の6割りが貧しい農民層と言われていました。人口は当時1億2千万人くらいいました。貧困の代表みたいな国でしたので、初めて訪れたときには、こんな国もあるのか、とかなり驚かされました。 村は貧しく、皆苛酷な労働をしていますから、人が病気で命を落とすこともよくありました。先月は元気だったはずの赤ちゃんが、翌月にはもういないなんてこともありましたね。そんなショッキングな出来事が、村のあちこちで淡々と語られているんです。 しかし同時に、コミュニティの中の絆は深く、そこには非常に豊かな交流がある。貧困という厳しい現実と、暖かな優しさの両方があるんですね。それをどのように捉えて良いのか、戸惑いを感じました。日本とはかなり異なっていますよね。日本なら、治療が受けられなくて命を落とすなんてことは少ないですが、しかし、家族やコミュニティからは暖かさが失われているようにも見えるんです。どちらがより幸せなのかと問われれば、迷うところがあります。ただ、ちょっとした治療費がないがために命を落としてしまうということには憤りを感じてしまうんです。あってはならないことだと思うんですよね。 小学校4、5年生くらいの、鉄工所で働いている子がいたんですよ。蹴られたり殴られたりしながら、親方にこき使われていました。私が声をかけ「どこから来たの?」と尋ねると、「家が貧しいから丁稚奉公に来ている」と言うんですね。「いくらもらっているんだ?」。私は再び尋ねました。すると、「もらっていない」と言う。朝から晩まで、驚くくらいよく働いていましたね。そんな子がたくさんいるんですよ。
逃げ出しても、結果は同じなんでしょうしね。
逃げ出す子はよくいますよ。逃げ出した子どもたちはストリートチルドレンになったり、悪いことも覚えたりしますね。とにかく、弱者がさらに叩かれる世界でね。耳をふさぎたくなるような悲惨な話もたくさん聞きましたよ。
シャプラニールに長く在籍し、納得のいく仕事ができていたようですが、2002年にジュマ・ネットという新たな組織を立ち上げられますよね。それはどうしてだったのですか?
私が入ったころのシャプラニールには、大学のサークルのようなノリがありました。和気あいあい、楽しみながらみんな参加しているようなところがあったんです。当然、財政基盤も弱く、規則なんかもあるようでないようなものでした。 ところが時代が変わってきて、90年代に入り徐々にシャプラニールが注目を集めるようになるど、だんだん活動資金が集まるようになってきたんです。私が入った頃に比べると、私が辞める頃は組織の規模が10倍くらいになっていました。それと同時に、優秀な人たちが入ってくるようになったんですね。それまでのシャプラニールと言えば、社会ではおおよそやっていけなさそうな、ユニークな人が中心だったのに(笑)。 そして、個々のすたっふのスキルが上がると同時に、業務も次々に体系化されていったんです。シャプラニールが評価されると、勘違いした人が「下澤先生」なんて時々呼んだりする。誰もが喜ぶ、紋切り型の話をすると、それは受けがいい。「シャプラニールすごいですねぇ」なんて言われるんですよ。私は、なんか違うんだよなぁ、と違和感を感じていました。
なんとも天の邪鬼な性格ですね(笑)。
組織にお金がある、仕組みも出来ている。入ってくる人はスマートなんだけど、どこかパワーが足りない。そんな状況の中で、私はもうここやることは少なくなったんじゃないかなって思ったんですよね。正直、シャプラニールに身を置いておくのは楽でしたよ。しかし、自分が楽なところに留まろうとする気持ちは、停滞だと思うんです。このまま「先生」なんて言われて年老いていくのは、堕落だと感じました。 ちょうどそんな時期に、立ち入り禁止になっていたバングラデシュの紛争地帯で、和平協定が結ばれました。和平協定以前も、その地域の話はちらほら聞いており、関心を持っていました。長年バングラデシュの現実を見てきた私でさえ驚くようなひどい話もたくさん聞いたんです。シャプラニールはうまくまわっていくだろう。それなら私は、もっと大変なところ仕事をしなくちゃならないな、と思いました。同時に新しいテーマのNGOもやってみたいかったですし、それで組織を立ち上げることにしたんです。
危ないそうなところ、未知なところを常に選んでいらっしゃいますね。
厳しい環境に分け入ることがNGOの使命のひとつだと思っていますからね。もっとも危ないと言っても、紛争は終わっていて、和平協定も結ばれてるような状況です。ところが、紛争が終わったにも関わらず、政府軍は撤退しようとしませんでした。先住民族は武器も放棄したというのに。 確かに、銃弾が飛び交うという状況ではありませんでしたが、二つの民族の対立が、深い爪痕を残している場所でした。まだ、無法なことも影で頻繁に行われている。ジュマ・ネットでは、この現場の状況を世界に伝えたり、国際的な関心を高める活動を行うことにしました。シャプラニールではできないことがやれそうな気はしましたね。
下澤さんのモチベーションの源はどこにあるのでしょうね。
なんでしょうねぇ。しかし、より深いニーズにあるところに行くべきだ、という思いは常にあるんです。バングラデシュに居続けることが重要なのではなく、どのような役割を担い、どんな仕事をするかが重要なんですよ。
●とことんやりましたから
●どちらがより幸せなのかと問われれば、迷うところがあります
●より深いニーズがあるとこに行くべきだと思う
次号はいよいよ下澤さん編の最終号です。シャプラニール在籍中に、ジュマ・ネットを立ち上げた下澤さんは、次いでジャニックへの所属を決意します。これまで現場を最重要視してきたはずが、一転して管理職へ。その心境の変化はどこにあったのか。そしてシャニックの持つ可能性について、お話を伺いました。
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Wrote 2009.01.31 << 前のインタービュー | 次のインタービュー >>