vol.111 中島康滋

特定非営利活動法人コモンビート 発起人/代表理事  URL:http://kojinakashima.com

こんにちは! テトルの本村拓人です!! 全3回にわたってお届けしてきたNPO法人コモンビート代表理事の中島康滋さんインタビュー。いよいよ今回は最終回です。 「人生の中で一番やりたくなかったのは経営者」と語る中島さん。しかし、なぜか、社長をやることになり、また会社として急成長し、世間の耳目を集めることになります。ビジネスに関する鋭い嗅覚とモデル作りのうまさを兼ね備えた中島さんは、ひょっとすれば、事業家として歩み続ける決意をすれば、いまごろビジネス界の風雲児になっていたかもしれません。 しかし、中島さんは、お金ではないところに価値を見つけ、新しい取り組みへとシフトしていきます。最終回となる今回は、そんな中島さんのドラスティックに移り変わる人生をクローズアップ。NPOという組織形態の中で新たな波風を立てようとする中島さんの熱くてクールな心をおとどけ!

人生の中で、一番やりたくなかったのは経営者

そもそもどうして中島さんは、NPO法人コモンビートを主催するようになったのでしょうか。経緯を教えてください。

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僕がずっとやりたくないと思って生きてきたもの。それは経営者だったんですね。ところがなぜか、19歳で起業し24歳で会社を創業することになってしまったんですよ。あるプロジェクトが始まったんですがその会社がとても大きな会社だったので、「振込み先を法人にして欲しい」と言われて。そこで「1週間で作る会社の作り方」みたいな本を買って見よう見まねで会社を作った、そしたら社長になっていた、みたいな(笑) 社長なんてやるもんかと思ってはいたのですが、やることになったのなら全力を尽くすタイプで(笑)。僕は経営の勉強なんてしたこともなかったから全てがわからないことだらけで、とにかくがむしゃらにやってたら会社がどんどん大きくなって、ITバブルの時流にも乗り、投資を受けるような立場になってしまったんです。不思議なことに、当時のITバブルの時は赤字経営でも上場すればOKみたいな風潮があって。ちょっと疑問に思いながらも「これが経営なのか」と思いながら経営してましたね。 いまなら、当時何が起こっていたのかわかるのですが、その場にいるときには何がなんだかわからず、どんどんどんどんお金をつぎ込みながらがむしゃらに走っていました。投資を受けるまでは健全な経営だったんですけどね(笑)。それで、わからないことだらけの中、本を読んだり人に聞いたりしながら会社を運営していたら、ある日、ITバブルが弾けてしまったんです。

なるほど。それでどうなってしまったんですか?

バブルが崩壊したのが2000年の春だったと思いますが、急に入ってくるはずだった資金がストップしてえらいことになっちゃった。やばいと思ったけれど、ケーススタディなんてないわけですよ。僕なんて社長としても素人だったし、それ以前に会社員経験もなかったんです。会社の勉強してから3年目のことでしたから。だから、組織の運営なんてわかるはずもないけれどとにかくがむしゃらでした。従業員は30人ほどいましたが、明確な役割分担も決まっていなくて、全員ががむしゃらみたいな会社でしたね。

プラミッドを観に行くくらいのことをしなくちゃ、人生が変わらない

ピンチになった経営状態はどうなったのですか?

ちょうどそのころ、DoCoMoがiモードを立ち上げて、まだ2年目くらいのときだったんですね。僕はこれからは携帯ビジネスだと思ったのですが、社員みんなに反対されてしまいました。仕方がないので社長なのに自分でプログラムを書いてサービスインしたところ、そちらのサービスのほうが当たってしまったのです。ITバブルが弾けて、音楽配信に対しての希望が失われた直後のことでしたから何とか新しい希望が見えた瞬間でした。

一度落ち込んだのに、すごいパワーですね。

ところが、その会社がほかの会社と合併することになり、さらに事業分割なども行われ、もう僕の意思の届かないところで動くようになってしまった。創業した会社って、経営者にとっては子どもみたいなものだと思うんですよ。生み出して育ててきたわけですし。だから僕の子どもをどうするんだみたいな気持ちになって、毎晩飲んで荒れてましたね(笑)。 自分の夢、社員への申し訳なさ、降りかかる責任や会社の整理などが続き、自暴自棄のようになって飲んだくれていたある日、お店にピースボートのポスターとハガキがあったんですね。僕は直感的にその葉書を手に取りポケットに入れたんです。そして次の日、入れた葉書のことは忘れていたんですが、その葉書を再度見つけホームページへアクセスしたんです。そして、今の自分を変えるのはこれしかない!と思いました。もう一度人生を新しくはじめるには、それこそピラミッド見に行くくらいのことをやらなくては収まりがつかないぞというように思いましてね。それですぐに申し込みました。直感で人生を変えてしまったことになりますね。(笑) 会社は後輩に託しました。ちょうど父親が定年退職した頃だったので、じゃあそのお祝いもかねて、と、ピースボートに乗り込んだんですね。ピースボートは世界をおよそ3ヶ月かけてまわるのですが、船の上でもいろいろな企画が立ち上がっているんですよ。

船の上でも企画はもりだくさんなんですか。ずいぶん大きな船ですね。

そうなんですよね。それであるとき、船内でアナウンスがあり、ミュージカルをやるから、ぜひみなさん参加してくださいって言ってるんですよ。音楽系のイベントがずっとなかったので、それは面白そうだなと参加したのですが、それが今コモンビートの活動で実施しているミュージカルの作品「A COMMON BEAT」だったんです。

仲間が集まれる場所がほしかったという気持ちもあった

なるほど。そこではじめて触れることになるわけですね。しかし、どうしてまた、主催する側にまわることになったんですか?

地球一周から戻ってきてしばらくしたときに、ピースボートが20周年を迎えてイベントを開催することになったんです。そのときにピースボートの人に相談を受けたんですよ。「あのときの『A COMMON BEAT』をオープニングでやることはできないだろうか」と。 その相談は、船で知り合ったメンバーとちょうど同窓会のような集まりをやっていたときでした。ピースボートから提案を受けて僕らは話し合いました。船の上という閉鎖された空間ではなく、日本でやれば知り合いも観に来やすいはず。それに、ピースボートのミュージカルを通じて知り合った仲間が再度集まったらすごいだろうなぁ、ということもありました。

確かに、集まる場がなかったがために、離れてしまう人はたくさんいるでしょうね。

そうですよね。それで、実際にイベントでやらせてもらったんですが、これが非常にうまくいって、おもしろかったんですね。集まった仲間もみんな満足で。そしたら、このまま続けてやっていくか、それともやめるか、みたいな話になり。それで、ピースボートの中でミュージカルを取り仕切っていた韓朱仙(ハン・チュソン)といろいろ話をし、新たな団体としての活動をはじめることにしたんです。

「A COMMON BEAT」を開催したばかりのころは大変でしたか?

そりゃあ、そうですね。資金ゼロのところからはじまっているんですから。人を集めようとしてもなかかな集まらなかったですしね。2回目や3回目も、運営の状態は結構大変な時期が続きましたね。

よく上手に、組織が動いていきましたね。

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何が一番の要因だったかを今振り返ってみると、僕とチュソンという全く異なるタイプの人間の化学反応だったと思います。代表が二人いるような団体はうまくいかないとありますよね。僕も二人の代表には否定的なのですが、僕とハンの場合は別。なにしろ、お互いのスキルも担当区分がはっきりしていて、お互いがお互いのことを信用できたところにあるでしょうね。チュソンは学校の教師から始まりUp with Peopleのインストラクター、そして僕が乗った船で総合演出をずっとやっていたほどですので、現場のプロフェッショナル。そして僕は経営の担当です。例えるにはとても恐縮ではありますが、ソニーの盛田さんと井深さんのような役割と信頼関係みたいなものなのかもしれません。 コモンビートは「ひとりひとり、違うからこそ美しい」というのがテーマです。それを作った二人からして全く違っているわけで。 お互いの役割を明確にし、お互いを信頼し尊重していくことで、いい化学反応が生まれたんですね。そう、当人の僕らですらびっくりしているくらいですよ。(笑)

Word of power

●社長だって、最初は素人
●人生は直観で変えていく
●異なる役割の化学反応

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