vol.061 関根健次
株式会社ユナイテッドピープル代表 URL:http://www.unitedpeople.jp/index.html
2002年7月 ダ・ビンチ・インターネット有限会社創立
2003年5月 募金サイト「イーココロ!」を運営開始
2003年9月 資本金を1,000万円に増資し、株式会社ダビンチに組織と商号変更
2004年6月 イーココロ!クリック募金を開始
2007年2月 ユナイテッドピープル株式会社に商号変更
2007年9月 第2回ソーシャル・ビジネス・アワード 「マイクロソフト奨励賞」を受賞
2007年12月 日本カーボンオフセット(COJ)と共同で日本初の「カーボンオフセットクリック募金」事業を開始
2008年2月 坂本龍一による植林/森づくりプロジェクト 「more trees」と
ユナイテッドピープルが提携。「more treesクリック募金」を開始。
2008年3月 誰でも署名集めを開始できるオンライン署名サイト 「署名TV」をオープン
こんにちは!テトルの本村拓人です!! 今号から3回にわたって 株式会社ユナイテッドピープル代表の 関根健次さんにご登場いただきます。
国境も人種も越えたところで、 困っている人たちに力を貸しているNGOやNPO。 しかし、その存在や活動内容は、 まだ十二分に認知されているわけではありません。 ユナイテッドピープルが運営する「イーココロ!」は、 世界の問題解決に挑むNGOやNPOを募金で支援するシステム。 それらの組織が抱える資金的な問題を解決するとともに、 その活動の認知度を高めるために奮闘しています。 はるか遠い世界で起こっている貧困や紛争の問題。 しかし、それは本当に手の届かない世界の話なのでしょうか? 関根さんは遠い世界各地の切実な問題を、 自分自身の痛みとして捉え、責任を感じていると語ります。 なぜ関根さんはそのような想いを抱くようになったのでしょうか? このインタビューでは、そんな関根さんのリアルに迫ります。 第1回目の今回は、起業に至るまでのお話です!ブログを拝見させていただいたところ、関根さんが起業を志したのは12歳の頃らしいですね。
まぁ、そうなのですが、事実としては、"絶対にサラリーマンにならないぞ"と宣言をしていたというだけの話です。実家が自動車の修理業を営んでいましてね。親父を見ていると、一般的なサラリーマンのイメージに比べて自由そうに見えた。それだけですよ(笑)。
そうだったんですか。では、本格的に起業家になることを考えたのは、いつごろだったのですか?
大学3年生のころですね。わたしはアメリカの大学に通っていたのですが、3年生のときにとても刺激的な授業を受けました。アントレプレナーシップ、つまり起業家精神について学ぶ授業です。それまでの人生の中で一番おもしろい授業でしたね。
具体的にはどういった内容だったんですか?
授業の中心はディスカッションでした。教科書はありますが、まったく開かない。内容を把握していることが前提になっていて、それを踏まえた議論に明け暮れるんですよ。教室も使ったり使わなかったり。教授が「今日は外でやるぞ!」と言えば、芝生の庭に移動して、そこで議論をすることもありました。 非常に実践的な授業だったことも特徴ですね。たとえば、進学の関係で、大学に高校生がたくさんやってきたときに、"彼らと一緒に来ている親御さんをこの講義に連れてきなさい"という課題を与えられたことがありました。まるでキャッチみたいなことをいきなりやらされる。チャレンジングで型破りな講義だったから印象深いです。 "想いを、行動にする方法"を学ばせてもらいました。
実践から得られる学びは大きかったでしょうね。
通常の講義のほかに、月に1度くらい起業家として活躍している先輩をゲストに招いて、スピーチしていただくこともありましてね。いまでも鮮明に覚えているのが、Fanine May(ファニー メイ)というアメリカの老舗チョコレートキャンディー会社の社長による講義。大金持ちでね。プライベートジェットを持っているような人なんですよ(笑)。 彼は、わたしたちを前にこう言いました。"いますぐ、大学を辞めなさい。ストリートに出て実践から学びなさい。こんなところで勉強しているのは落ちこぼれだよ"と。ほかにもさんざんなことを言われましてね。でも、結局その話に触発されて大学を辞めた人は、誰ひとりいませんでした。 確かに "はい、辞めます"、となかなか素直には言えないですよね。関根さんは、打ちのめされた気分になったのでしょうか。 いや、むしろ感動しました。"すごいな"と。"起業家になるには度胸が必要なんだ"と学ばせてもらえました。安泰と思われている道ってありますよね。たとえば大学生なら、卒業することであったり、企業に就職することとか。 しかし、起業家になるということは、そういった道を捨てて、自分が信じたビジネスに向かわなくてはならないということなんです。起業の厳しさを感じさせてもらいました。 その社長さんはまた、とても人間的な人でもありました。スピーチをしながら突然泣き出したりするんです、"実はオレ"ってプライベートなことを話しながら。それだけ感情の振り幅が大きいというか、想いが強いということでしょう。だから起業することができたのかと、すごく参考になりましたね。
アメリカの大学から日本に戻られて、就職なさっていますね。
就職は3回していますね。就職の前、大学在学中にも夏休みには日本に戻って、そのころはインターン先を探したんですよ。アメリカにはそういう制度がありましたからね。 ところが、受け入れてくれるところがないんです。 "技術はありますか?""ビジネス経験は?"と聞かれて"ありません"と答えると、それでおしまい。働かせてもらえませんでした。 ただそのとき、とある経営者の方に"入社するなら10〜20人くらいの規模の会社にしなさい"と、アドバイスされました。面接のたびに"いつか起業したいと思っています"ということを伝えていたんですよ。するとその方は"それなら絶対に大きな企業に入るな"とおっしゃるんですね。
大企業はいけない、と。
従業員が何千人もいる会社に入れば、モロに歯車のひとつになってしまいますよね。そうすると経営の全体像が見えない。 経営を学びたければ10〜20人くらいの会社がいい、ということなんですね。 最初に入った会社は社員が400人で、アルバイトを含めると2,000人もいる大きなところでした。 その次の会社はIT系で30人ほど。最後もIT系で300人くらいだったかな。大きなのも中くらいのも小さいのも、全部見ました。 戦略的に仕事をわたり歩いたつもりはありませんが、就職先を探すときに、先の経営者の方の言葉が潜在意識下にあったのかもしれません。
3つ目の会社、大手IT広告代理店で働いている時に、過労で倒れてしまったことが起業に繋がるんですよね。
あれは、いきすぎでした。会社もイケイケ、上司もイケイケで、月曜日から金曜日まで泊り込むこともありましたからね。 コーヒーを飲みながらビルの高層階から街を眺めて、"今夜も泊まりだな"と机の下にもぐりこむ。新規立ち上げの事業に関わったので、"まぁ大変だろうな"と予測はしていたのですが、すさまじかったですよ。 ところが、忙しい時期が過ぎた後も早く帰ることができない風潮だけは残ってしまいまして。それであるとき救急車で運ばれてしまったんです。いま考えると、あのとき死んでいたとしてもおかしくなかった。 限界までがむしゃらにがんばることには大賛成なんですが、それを強要されるような環境はまずかったですね。
そうですね、死んでしまっては仕方がありませんからね。それにしても、ご無事でなによりです。
"キツかった"というイメージはありますが、それでもそういう会社で働いたことは大きかったですよ。 従業員やスタッフの育て方、リーダーシップの執り方、組織の作り方などを肌で学べましたから。そしてなにより、"死んでいたかもしれないのだから、これからは自分がやりたいことをやろう"と、決意させてくれたんですからね。
●起業家になるには度胸が必要
●経営が知りたければ10~20人くらいの会社がいい
●死んでたかもしれないんだから、これからは好きなことをやる
次回は、関根さんが世界で活動するNGO&NPOを支援する
クリック募金のシステム「イーココロ!」を立ち上げる経緯をインタビュー。
"世界の問題を解決する!"という強い信念を持った関根さんにその想いのルーツなどを尋ねます。
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Wrote 2011.08.13 << 前のインタービュー | 次のインタービュー >>