vol.009 森嶋伸夫 / Morishima Nobuo

NPO法人[政策学校]一新塾 代表理事/事務局長  URL:http://www.isshinjuku.com/

1964年生まれ。

88年より、積水ハウス(株)で、「都市開発」「まちづくり」の仕事に携わり様々な立場の人たちとの出会いの中で、日本人が組織の論理の中でいかに自分のミッションを犠牲にしながら生きているかを痛感。
一新塾第3期に入塾し、異質同志がぶつかり合うことの 計り知れない可能性を実感。97年政策学校一新塾マネージャーに就任。03年一新塾のNPO法人化に伴い、代表理事・事務局長就任。
主体的市民養成プログラム開発に力を注ぎ、毎年20以上の「政策提言」「社会起業」「市民プロジェクト」のインキュベーションに関わる。この10年間で2400名の主体的市民の輩出に携わる。

こんにちは! テトルの本村拓人です! 本日は市民の直接的な政治参加を促す市民団体『一新塾』を運営している森嶋氏へのインタビューをお送りいたします。 現在までに多くの政治家、経営者、社会起業家を世に輩出し、日本の社会に対して、次々と政策提言をしかける森嶋氏曰く、「人間誰しもが自身の人生を謳歌するべきもの」と説く。

今やりたいこと・興味のあることを自由に発言し、自分のビジョンを同じ志をもった同志と共有し、実現に向けて走り出せる環境がここに存在したという事実が何よりも私を興奮させた。

一新塾に関わるまでのいきさつをお聞かせ下さい。

大学卒業後は住宅メーカーの積水ハウスに就職しました。配属先は都市開発事業部。もともと街づくりに関心があったので、希望通りの仕事につけた事は大変光栄なことでした。中学生までに7回も引越しをしたことが都市開発に興味を持った理由かも知れませんが、本当の人のつながりがあるコミュニティーを目指した街づくりをしたかったんです。

仕事では、例えば郊外の大規模住宅開発などの企画にも参加していたので、土日になれば、地域の人たちと語りあったり、お互いのふれあいの為に、どうしたらよいかをテーマにアンケートをとったりしていました。

そこでアンケートの結果を見てみると、「できるだけ隣人との接点を持ちたくない」という回答が多かった。さらに話を聞いてみると、会社までの通勤距離が一番の重要事項で、つまり生活の基軸がすべて仕事となっていたんですね。

思いを注いでつくり上げた住宅なのに、自分がイメージしていた状況とは全く違った。 地域コミュニティは「もはや存在しないのか?」というのが当時の率直な感想でした。人と人とのつながりがなくとも、便利さだけを追求できればそれだけでいい、という感覚に、私は愕然としました。私はいわゆるデベロッパ-の立場で、地域住民が交流しやすい空間を!とハードを提案しても、人は全然動かない。ならば、直接人間の意識に働きかけなければ駄目だと感じました。

また、都心では駅前の再開発プロジェクトにも関わりました。ビルを建てる時、商店街の人たちと交渉したり、「工事等でご迷惑をおかけします」等のご挨拶をする為に住宅地をまわったりするのですが、人と関われば関わるほど、様々な利害が錯綜している事に気づかされました。

地権者、近隣住民、商店街、設計事務所、建築会社、役所など、実際には、さまざまな人や組織が関わり、お金を含め、さまざまな利害関係が生まれます。そうすると「この街にこんなビルを建てて、こんなに素晴らしい街にしよう」と最初にコンセンサスを得たビジョンは、結局、単なるお題目となり、本音はエゴとエゴのぶつかり合いなんです。私はそういった光景をまざまざと見てきていて「何故、自分たちの私的な空間や、自分が所有できるものに対しては、ものすごく執着心を抱くのに、隣の話になるともう見向きもしないのか。日本では、市民性というものは持ち得ないのか?」と、感じていた時に、一新塾に出会うわけなんですね。

具体的にどのようにして一新塾と出会われたんですか?

当時は、都心の再開発プロジェクトの現場と非常に近い場所に住んでいましたが、そういう生活をしていると、生活の基盤が全て仕事になってしまうんですね。会社と家庭の往復だけで。そうなると自分の感覚も仕事に関わることにしかアンテナが張らなくなってしまう。あるとき、仕事と関連あるニュース・記事にしか興味を示せず、どんな深刻なニュースも感じなくなってしまっている自分に気づき、それが怖くなった。

そこで、仕事とは違う世界を見たいと感じていた時、たまたま新聞で一新塾の存在を知り、「これだ!」と思ったんですね。それが、1996年、私は塾生として一新塾に通い始めました。今、振り返ると、地域コミュニティを作りたかったんだと思います。一人ひとりの個性が存分に開かれ、地域の人たちとの交流によって人生を深め、相互に支援し合うコミュニティです。

私は、都市開発の仕事を通じてこれを果たしたかった。しかし、この思いを会社の上司にぶつけると、「出来もしない理想を語るな」といった空気がありました。一方で、一新塾と関わってみたらパラダイムが全く違った。ビジョンを語らないことには始まらない。たとえ100分の1の可能性であっても、突き抜けたビジョンで面白ければ人がワッと集まり、プロジェクト実現の道がつき、一年先には実現している。

そんなリアリティを塾では感じて、実際そういうことが続々と現実のものになっていった。日本は縦割りが隅々まで浸透していますが、縦割りの中だけにいると、人間の可能性というものが小さく、世界が小さくなってしまうんですね。

だったら縦割りの日本社会を横で串刺しして、多様な価値観の人たちがつながるだけで、ものすごい変革が起こるという直感がした。そのときは直感で会社をやめてこの世界に飛び込みましたが、年を重ねるごとに、塾生が具体的にプロジェクトを起こしていくのを見ていくうちに、それがだんだん確信へと変わっていきました。

私が一新塾の仕事に就いて十年を超えましたが、市民社会の創造というのは序章で、これからが本番だと思うんです。これまで存在した官主導社会。マジョリティが"国民"として社会を引っ張った。その後、訪れた会社主導社会。マジョリティは"企業戦士"として引っ張った。そしていよいよマジョリティが"市民"として社会を動かす実験がいよいよ始まります。

10年前から議員や行政に政策提言してきましたが、10年前は「素人がこんな政策を作って何になるんだ」と一蹴されることがよくありました。ところが、時を経て今は、改革派の自治体の首長や国会議員から「市民の立場から提言してくれないか?」 とよくお声かけいただくようになりました。政策面で、政治の側から私たち市民に声がかかる時代になってきています。パラダイムが180度転換していますよね。

道州制をいわゆる塾のキーワードとしてやってきました。次の国の新しい形をどのようにするか、長い間模索し続けてきた。もう、とにかく、議員に出会うたびに「道州制どうですか?」と問い続けたんですよね。

「何をそんな夢みたいなことを」なんて言われ続けました。これが5年前。その時の段階では誰もリアリティを感じてくれないから、実現可能性のあるものを作ろう、ということで考えたのが「ふるさと納税」なんです。

「ふるさと納税」を発案したのは一新塾生。当時から中央に集まりすぎているお金を、何とかして地方に分散できないかと模索していた中で発案されたアイディアでした。東京で活躍して高い収入を得て、高い税金を払っている地方出身者は多い。しかし、彼らがこうして今あるのも、ふるさとの自然や地域の人たちに育まれたお陰。だったら、お返ししてもよいのでは? という意味で、「ふるさと納税」とネーミング。

2002年、塾生同士で手分けして与野党の特に地方分権に関心の高い47人の議員に提言して回りました。そして、今、市民発の発想、考え方が政府の目玉政策として表舞台に浮上してきたことに対して、関わったメンバー一同、驚きを隠せません。

また、3年前、グリーンピア土佐横浪再生に挑むOBを塾生が応援する過程で、年金保険料の福祉施設建設への流用を禁止する提言を議員にして回りましたが、今年になって動きが出てきました。市民からの政策提言が国政につながっていく時代の到来を予感します。

これまでの時代、社会創造には特別な選ばれた人しか関与できなかった。政治家と政治家の取り巻き、経営者と経営者の取り巻き、そこに入らないと市民の声というのは届かなかった。しかし、現在では、市民のキーワードは、社会の表舞台に浮上してきている。どんな組織に所属しても、一歩自分に立ち戻れば、市民という点では一緒です。その立場だと縦割りも全て超えられる、その立場で物事を言えば何か新しい力を発揮できるんじゃないか。

Quality Of Lifeという言葉が今、浸透していますが、やはりこの先はQuality Of communityがキーワードになると思う。私達の夢がかなうかどうかは、本当の同志がどれだけいるかにかかっている。自分の志が響いて知恵のある同志が一杯いるところだったら、実現の可能性が断然上がるわけです。だから、我々はいよいよコミュニティー選別の時代に入っていると思う。世の中にいろんなコミュニティーがありますよね。

どこを選ぶかで人生が確実に違ってくる。コミュニティに参加したら、普段は、そのコミュニティーの育成に貢献。本気の旗を揚げる同志がいたら支援にかけつける。そして、自分が本気の旗を揚げたときには、存分に同志に支援してもらう。

ところで、今は既に衆議院議員になりましたが、NTT社員時代だった田嶋要さんが「自分が国会議員として立候補するかどうか見定めるために」って入塾されたんですね。彼は40歳で担当部長というエリート中のエリートでした。その立場を捨てるのはやっぱり大きいわけです。でも、40歳以降は社会の為に貢献する人生を送りたいと政治の道への決断を悩んでいました。

一新塾では、2割ぐらいの塾生が、受講期間中に、今いる組織を飛び出して、起業や政治へのチャレンジなど、身を投じてのチャレンジに挑んでいきます。あるとき、田嶋さんが、「一新塾の先輩は、どのように人生の転機の決断をしているのですか?」と聞かれました。

そこで、OBで医師の桑間雄一郎さんのお話をさせていただきました。桑間さんは7年間くらい外科医をやっていまして、アメリカに長期研修に行ったらそこで愕然とした。とにかく日米の医療ギャップに驚いた。そこで、一医者という立場でいるよりも、医療政策に対して何かやらなければならない、ということを痛感して、日本へ戻ってきて、日本医師会のシンクタンクに転職するんですね。

その世界っていうのは、すごくカチカチで、医療改革の必要性を語れば語るほど、孤立してしまう。信念を貫き続けるべきかの葛藤にあるときに、一新塾の門を叩かれました。ここで、業界は違うけれども、変革に挑み奮闘している同志との出会いがありました。

そして、塾を卒業されてから、桑間さんは、一つの決断をします。それは、日本の医局を飛び出し、アメリカに渡るということでした。そこで、厳しい試練を超えて、アメリカの医師免許を取得。そして、ニューヨークのベス・イスラエル病院への勤務が決まります。

さらに、2001年、日本の医療改革の提言書「裸のお医者さまたち」を出版されました。実は、その現行の2/3は、一新塾に通っているときに書き溜めたものだそうです。当時、日本の医者にとって、医療業界の問題を正面から客観的に指摘し、提言することは大変困難なことでした。そして、桑間さんは、海外にいったん出て、そこから日本へある種の外圧をかけたわけです。

そのように田嶋さんに、桑間さんの話をすると、「桑間君も一新塾だったの!彼とは、大学生時代、日本の将来を徹夜で議論した仲だ」と、偶然にもお二人は同じ大学出身だったわけです。人生の転機で、こうした縁に結ばれることの不思議を思います。

我々がビジョンが描くことが難しくなっているのは、どのような原因があるのでしょうか?

縦割りとピラミッド構造によって、ある種の思考停止が起こっているんだと思います。個人で話をすると柔軟な発想で創造的な人が、組織になってしまうと思考停止が起こってしまったりするじゃないですか? そこにビジョンがなくなってしまうという状況があると思う。

さらに、社会の枠組みをつくる作業は、政治家や官僚だけがやるものといった役割分担が浸透してしまっている。そして、国民はミーイズムに呑まれ、自分や家族、一部の親しい仲間にしか関心が抱けずにいます。

しかし、全ての人は社会創造の作業に関わっていける権利というものがあると思います。この最も創造的で心躍る作業を私たちの手に取り戻したときに、ビジョンを取り戻せるのではないでしょうか?それは、地域コミュニティーの創造であり、地方自治体の創造であり、そして、国の創造です。

一新塾の理事をやられていて感じる、圧倒的な面白さや、やりがいについて教えてください。

一新塾のプログラムは一年間に渡って行われますが、この一年が多くの人たちの人生の転換期(節目)になったりする。バックグランドが全然違う人たちが、なぜ集って一つになれるかというと、多分その一点だと思う。

皆が共通に抱いている切実感です。一新塾では、自分の人生に真剣に向かい合い、夢や志についてどんどん話せる環境がある。また、社会や政治あるべき理想を存分に議論できます。結構欧米だとそういう話を日常的にするじゃないですか?

また、人が何かを成し遂げようとする時には、自分のパワーを臨界点まで近づけなければ成し遂げられないんですね。その臨界点に到達するためにもはやり同志が非常に重要になってくる。遊び半分の人がいるとやっぱり駄目です。

ですから、切実な緊張感を共にできる同志の存在が大きいのです。自分のテンションを上げて勝負する場があると成し遂げられる。面白いのは一新塾に一年間通った塾生たちが、その一年を通して本当にガラッと変わるんです。また、道を拓いて大きな飛躍を遂げた人っていうのは、最初からリーダーシップが備わっていたわけではなく、どこかある種のコンプレックスを持っていた人の中から誕生したりすることもよくあります。

自分の臨界点を超え、自分の殻を砕き組み替えることができる人が、爆発的な飛躍を遂げるんですね。だから、私は10年以上、塾生の学び、行動をともにさせていただいて感じるのは、人間は徐々に成長するというよりは、あるきっかけによって、かつての自分の殻がバリンと砕かれ、世界がバッと開けるように、瞬時に次元が高みに引き上げられるように成長し、転換していく瞬間があることを、私は何度も見させていただきました。それは、塾生同志の徹底議論の最中に、あるいは、現場に飛び込み人や出来事に出会った瞬間に、引き起こされることも多いです。

そして、どんな人でも、どんな能力であっても、皆、限界を超えようとする姿勢には感動するんです。それが同志を呼び込む求心力となります。入塾時点での、その人のできる、できない、といった能力のレベルと関係ありません。それが自分のキャパシティの70%しか出さない人だったら、やっぱり求心力を生まないし、皆、応援もしないですよね? 

どんな人でも、その人が志を果たそうと臨界点を超えようとする挑戦には、人を引きつける強い求心力が働くのです。

森嶋さんは、人がその臨界点を超えるところを毎年のように見ているわけですよね?

はい、本当にわくわくする瞬間です。そして、塾生が臨界点を超える姿勢は、他の塾生に連鎖していきます。きっと大きなエネルギーを発しているのだと思います。人が大きな志を抱くとき、その志が高ければ高いほど、自分の限界も同時に見えてくるものです。でもむしろ、限界の壁っていうのはチャンスかもしれません。この壁を越えるときに、求心力が働くからです。

一新塾での役割は、人が臨界点を越える環境作りをしているということですか?

私自身、決して塾生の人生を変えたなどと大それた事は語れませんが、いつも頭が下がるのは塾生の熱き志とひたむきな姿勢です。そして、勇敢に同志と協働して行動に移していく。私の役割は人が壁を見つけた時に、志を下げるのではなく、壁を突破する為の、意識のスイッチを入れ替える役目というのが一番しっくりきます。

一新塾に入塾される方々は本当にバラエティーに富んだ人たちですね。

本当にここに集まる塾生の人たちが面白い。あらゆる業界のビジネスマン、主婦、学生、フリーター、経営者、政治家、官僚、ジャーナリスト、デザイナーなど社会の縮図です。フラットな関係だから、年配の部長クラスの塾生が、新入社員の塾生に対して同じ目線で、「それは思いつかなかった、すばらしいアイディアだ」というような会話が自然に起こっています。現在、経済格差、世代格差と二極化しがちな日本ですが、一新塾の場は、世代を超え、職業を超え、立場を超えて、忌憚なくに志を交流できる場となっているのではないかと思います。

Word of power

●縦割りの日本社会を横で串刺しして、多様な価値観の人たちがつながるだけで、ものすごい変革が起こるという直感がした。
●自分の志が響いて知恵のある同志が一杯いるところだったら、実現の可能性が断然上がるわけです。だから、我々はいよいよコミュニティー選別の時代に入っていると思う。
●どんな人でも、その人が志を果たそうと臨界点を超えようとする挑戦には、人を引きつける強い求心力が働くのです。

前編は以上になります。
次号はいよいよ、一新塾の知られざる経営戦略について、そして同団体の今後のビジョンに迫ります。

みなさん、ぜひ後編もお見逃しなく!!

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