vol.025 佐藤禎之 / Sato Sadayuki
リトルミスマッチジャパン株式会社代表取締役/有限会社ボランタス代表 URL:http://www.littlemissmatched.jp/
1975年
12月生まれ
1995年
海上自衛隊 航空学生入隊
1999年
回転翼事業用操縦士免許取得、夢のパイロットに
2001年
幹部候補生学校卒業、救難飛行隊勤務
2005年
特殊部隊指揮官要員訓練
命の使い方を考え辞職
2006年
有限会社ボランタス設立。ミスマッチジャパン株式会社代表就任
2015年
発展途上国に学校設立(目標)
詳しくは→
【ミスマッチジャパン株式会社】http://www.littlemissmatched.jp/
【有限会社ボランタス】http://www.voluntas.co.jp/
【佐藤氏個人ブログ】http://dblog.dreamgate.gr.jp/
user/gp0607/gp0607/
こんにちは! テトルの本村拓人です! 今号はリトルミスマッチジャパン株式会社代表取締役社長、そして、有限会社ボランタス代表でもある佐藤禎之氏のインタビュー(第1号)をお送りいたします。 人々はあらゆる「きっかけ」を得て自らの人生の舵取りをしていく。本日お送りする佐藤氏はそのきっかけを様々な手段・方法で人々に伝えていくことを行動理念にされている 。 そんな佐藤氏自身の大きな転機も、海上自衛隊の特別警備隊(特殊部隊)の任務にあたっていたある日の「きっかけ」であった。自分の命の使い方に疑問を感じ、何の為に自分の命を捧げるのか?こんな疑問に全うに向き合えたのも自衛隊という命を張った仕事の中で得た原体験が大きく作用している。 「きっかけ」をどのように利用するかで私たちの人生は大きく変わるのかもしれない。
リトルミスマッチを始めるまでのいきさつ、そして、企業とNPOを繋ぐ事業を中心にやられているボランタスを創業するまでの経緯をお聞かせ下さい。
高校生の時の話になるのですが、高校の時に僕はずっとパイロットになりたかったんです。パイロットになりたくて、いろいろ調べていたら最短でパイロットになれる方法っていうのは自衛隊に入隊することだった。
僕の周りに自衛官なんて誰もいなかったので、何もわからなかったのですけれども、とにかく早くお金がもらえてパイロットの資格がとれると。もうこれが俺の道と思って、パイロットになりました。
パイロットになってから、僕はずっと実戦部隊を志望していました。日本には戦争も紛争もありません。最初は潜水艦探しをやっていたのですが、それがあまりリアリティーを感じなかったんですね。訓練のための訓練みたいな気がしていました。
だからレスキュー部隊を希望して、レスキュー隊に配属されました。自衛隊のレスキューは本当に厳しいことをやるので、えぐいところに行ったりするわけですね。すごい環境の中にわが身を投じていました。
レスキュー隊の一員としてのやりがいはありましたし、なによりも楽しかったんです。自分の手に人々の命があるわけですからね。それが、僕は命をかけられる仕事だったんです。最終的に、レスキューのパイロットを5年やりました。航空学生という制度で高卒で入隊して、6年すると自動的に幹部候補生学校にいって幹部になるんですが、幹部になってからはレスキュー部隊1本でした。
そんなときに、海上自衛隊に特別警備隊と言う特殊部隊があるんですが、これの指揮官要員として、僕に声がかかりました。本当はパイロットから特殊部隊に配属されることはほとんどありません。
パイロットを一人育てるのに莫大なお金がかかっているわけですから、それを特殊部隊にもっていくっていうことはあんまりしないですよね。たまたまなのかよくわかりませんが僕の所に話がきました。結構なんでもチャレンジするタイプなので最終的に特殊部隊で任務に赴くことを決意しました。
結局四ヶ月くらい訓練を受けて僕はやめることになるんですが、そのやめた理由と言うのは、今までずっと自分が命をかけた仕事っていうのは人を救出するということだった。
ところが、特殊部隊でやることっていうのは、結果的には日本国民を守るという仕事ですけが、その過程にあるものは人を殺すことになるんですね。
そこに僕はすごく違和感を感じていました。そんな中で、一緒にいる仲間はその特殊部隊に命をかけているわけです。もしかすると俺はここで死ぬかもしれない。『死に方』を考えたときに思ったんです「俺はここにいる人間じゃない、俺はここで命を使いたくない」と思い、やめることを決断しました。
その『きっかけ』が佐藤さんの人生を転換させたんですね?
一生自衛隊にいようとは思っていませんでした。パイロットになりたくてパイロットになって、すごいやりがいのある仕事でしたが、そのまま自衛隊の中の一パイロットとして終わるのはすごくいやだったんですね。
何かしら行動は起こしたかった。なので、当時からいろいろな本を読み漁っていました。起業家の人達の本などは特に好きで、当時からタリーズの松田公太さんの本なども読んでいました。お金に関する本や、投資に関する本など、二十歳くらいの時から、無意識なのかわかりませんが、ビジネス書を読んでいました。
そんなこともあって、「あ、これやめるチャンスなんだな」とそのとき思ったんです。年も30前だったというのも重なって、このタイミングを人生の新たなフェーズへの挑戦だと思い、やめることを決断しました。
やめる手続きなどで一ヶ月くらい時間がありましたので、その期間を使って「僕がこれから命をかけてやっていくことは何か?」を考え続けていました。その中ですごいいろいろ考えていって、最後にたどり着いたのが、「発展途上国に学校をつくる」っていうことでした。
これは一ヶ月間ものすごく考え抜いてたどり着いた結果なので簡単にお伝えすることができるかわかりませんが、端的に言うと、日本はすごい豊かな国で、助けを呼べば何千万っていうお金をかけて自衛隊が助けにきてくれるような環境が整っている。
しかし、アジアの西の方を見ると、全然そうじゃない。彼らはルックイーストを合言葉に日本を見本にしていると聞きますが、まだまだ日本のような状態までには国力を上げることはできません。人もよく死んでいます。だったら、僕は今までレスキューパイロットとして数人の日本人を助けてきましたが、「もっと多くの人間の役に立とうじゃないか」という思いになりました。
途上国のまた、何故学校かというと、チャリティとして寄付をするサポートというのは、これは一時的なサポートとしてはすごく大切なんですが、穴のあいたバケツに水を入れているようなもので、結局垂れ流しているだけなんだと僕は思っています。水をためるには、穴をふさぐためのガムテープを貼らなければいけない。僕はこのガムテープが教育だと思うんです。バケツに水がたまるまですごく時間がかかります。
どれくらいかかるかわかりませんが、ものすごくやりがいがある。ということで特殊部隊の自分の部屋で「2015年までに途上国に学校を作る」という目標を紙に書いきました。目標ができてやめたのはいいものの、何かやることを決めていたわけではありませんでした。そこで、出た答えが、とにかく事業で成功するしかないと。
事業で成功するためには、成功者から学ぶしかないと思っていました。僕はタリーズの松田さんを本で知っていて、経営者として好きでしたし、かっこよかった。彼のような若手のベンチャー経営者に近づきたいなと思っていました。
当時個人でBLOGを書いていたこともあって、あるBLOGの読者の方から、コメントでDREAM GATEのことを知ったんですね。「何ですかそれは」ということで調べてみると、ビジネスプランコンテストをやることを知ったんです。それでそこのファイナルの審査員に松田公太さんがいたんです。「おー、これだ!」と。
とにかく僕はなんとしてでもこのFINALまで行くしかないなと思ったんですね。ふたを開けてみたら、その年、今から三年前のDREAM GATEだったんですが、審査員の顔ぶれがとても魅力的だったん です。GMOの熊谷さん、テイクアンドギブニーズの野尻さん、サイバーエージェントの藤田さん、タリーズの松田さん、フォーバルの大久保さん、ブックオフの坂本さん、そうそうたるメンバーだったんですね。
これはすごいなと思って、僕は当時なんのビジネスのノウハウも知らなかったので、たまたま思いつきで、ちょうどドロップシッピングというのが流行り始めていたので、インディーズアーティストの楽曲をドロップシッピングで配曲するという事業プランを本当に思いつきで、紙一枚書いてDREAM GATEに提出したら、それが書類審査を通ったわけですよ。
そこで、「次回はDREAM GATEの方にきて、話をしてください」ということでDREAM GATEに行ったときに、運が良かったんですね、たまたまDREAM GATE代表の松谷さんから話しかけていただいたんです。そこで、「君何やってるの?」、「何で起業するの?」と聞かれたんので、僕がこういうことやりたいんですと夢を語ったら、松谷さんが「おまえおもろいやっちゃな、そっかがんばれよ」という言葉がかえってきたんです。
二次審査通過になって、松谷さんは審査には直接からんでいないのですが、そのときから松谷さんがすごく応援してくれていたんですね。二次審査も書類で、それはDREAM GATEの人達の中での審査で、今度は面接を して審査があって、それも通過し、次に関東大会まであがったんですね。関東大会は、そのときはデジタルハリウッドの藤本さんとか、その時点で上場会社の社長さんなどが審査員として参加されていました。
正直事業のプレゼンなんてやったこともないですし、そのときのプレゼンが全然うまくいかなく、まして、他の人達はだいたい事業として回し始めてる段階だったんですけど、僕はまだプランだったんです本当に。これは厳しいなって思っていたんですが、とにかくやってみようとおもって「ガー」ってやったら関東大会も通過したんですね。勢いで。もう勢いですよこれ。
最後セミファイナルから、ファイナルっていうのが二日連続であって、これが後楽園のすごい大きい会場で、すごい人数が集まったんですね。二日間かけてやった大きいイベントで。結局僕はセミファイナルで落ちたんですね。ファイナルにいけたのは5人。
ただ、そのときにセミファイナルで落ちたんですけれども、落ちた人間に、三十秒間だけプレゼンの時間が与えられたんです。ファイナルに残った人達は十分くらいのプレゼンがあって、僕たちは三十秒間だけあったんですね。その三十秒プレゼンはファイナルが全部終わった後に、じゃあ最後にというおまけ的な感じだったんですが、僕にしてみれば、こっちの方がおおとりみたいに感じていました。
僕はたまたま、三十秒プレゼンのおおとりだったんです。そのときに松谷さんに、「松谷さん、俺、三十秒間ビジネスプランしたところで何も伝わらないから、ここでほふく前進やらしてください」といったら、松谷さんが、「いいよおまえのやりたいようにやれや」と言ってくれたんです。それで、観客が400人くらいいたんですけど、観客の方にお尻をむけて、審査員の方だけ向かって、自己PRをして、「ほふく前進やりますっ!」といって、ほふく前進をやって。ステージ上で。結果大爆笑ですよね。とにかく彼らの記憶には残したわけです。
僕はそれが目的だったからそれでOKなわけです。その場の最後に「みなさんにお手紙書きます」って審査員の方々に言って、みなさんに実際にお手紙を書いて、次の日に送りました。結局反応があったのは熊谷さんと、松田さんだけだったんです。熊谷さんは、たぶん社長室からだと思うんですが、丁重なお断りの手紙がきました。
松田さんからはそれから半年後くらいに連絡がきたんです。それまで何も連絡はなかったんです。その半年の間に僕がクリック募金のポータルサイトを立ち上げるんですが、そのときに僕のビジネスプランをずっとサポートしていた人間がいて、航空学生の時の後輩なんです。
彼は二年間自衛隊で訓練を受けて見切りをつけてやめて、オーストラリアに留学後、慶応に入ってから、勉強というよりかは、ちょうどベンチャーの立ち上げがいっぱいあった時期で、インターネットのビジネスを仕掛けて、一般的に言う成功をしていたわけです。
それを知っていたので、僕は自衛隊をやめたときに彼にすぐ連絡をとって、「俺はこういうことをやりたいんだけど、力をかしてほしい」と伝えると、「やりますよ!」みたいになってくれてそれで「俺学校つくりたい」と話をすると、彼の組織の人間も、そういう社会還元をしたがっていると、だからちょっと一回みんなで話しましょうとなって話をして、「じゃあもう佐藤さんのやりたいようにやってください、バックアップしますから」ということを言ってくれたんです。
何をやろうかってなったときに、彼らのノウハウはインターネットのビジネスですよと。じゃあ彼らの強みをいかせるもので俺の力が発揮できるもの、ということで、「今クリック募金というのがあるので、これやってみませんか?」と。そこで始まったんですね。
学校を作るだけって正直簡単なわけです。だけど、本質的にはつくるだけじゃ意味が無くて、僕はそこを運営して、そこで人を育成したいんですね。それで日本につれてきたいわけです。日本でさらに勉強させる。
向こうの優秀な人間を日本に連れてきて日本で育て、また国に帰れば何が起こるかといったら、彼らはその国じゃものすごく優秀な人間になると思うんです。その人たちが政治家になったりと、その国を牽引する人間になる可能性は高くなります。
ここまでいったときに日本とその国はものすごく良い関係になると。当たり前ですよねこんなの。僕の予想では歴史は繰りかえすっていうことがあるように、日本って本来ならばこのまま繁栄し続けるべきなんです。
そうならなければならないんだけれども、もしかしたらどっかで過ちが、何かが起きてしまうかもしれない、傾いてしまうかもしれない。そうしたときにその問題を誰がサポートするのか?と言ったときに、僕はアジアの国の人達だと思うんです。
そういう物語みたいなストーリーを自分の中で仮定していて、本当はそうはなっちゃいけないんだけれども、でもそういうこともありえるっていうことですよね。そうならなければ別に友好関係をずっと続いていけばいいわけです。そう考えて学校で人を育成していきたいと。そのためには、お金をずっと流し続けなければいけないわけです。
そのためには、潤沢な財力と人のネットワークが必要だと思うんです。ネットワークを作るためにはやはり意識の高い人達、こういった慈善活動に関心のある人達と近づくしかないと。そういった意味で僕はこのクリック募金のサイトっていうのは、システム自体も勿論良いんですが、僕はさらに、クリック募金を通じて、慈善活動に参加する企業のトップに自分を売り込みに行くことができると。そういった方々が仲間になれば大きい力になるわけです。
日本の多くのNGO、NPOは確かにやっていることはすばらしいんですが、やはり何か足りない気がする。どうしても大きいことをやるためには大きい力が必要になってきます。
バングラディシュに行ったことがあるんですが、そのときはある社長さんがバングラディシュに店を出したいという話があって、その社長さんが視察に行くということで、「おまえも行くか?」ということで同行することになりました。ところが急遽その社長さんが行けなくなってしまった。「じゃあすまんが佐藤君、うちのビジネスプランをもって君が向こうに行ってくれ」と。
バングラデシュでは、ビジネスのグループがたくさんあるんです。そこのトップの人が迎えにきてるからということでバングラデシュに行ったとき、僕はどちらかというとバングラデシュを上の層から見ることができた。おいしい食事と豪邸に住む人がいればそのわきで何人も家のない人がいる。ここではそれが普通。
彼らを否定することもできるけど、そこを追求してしまうと、「おまえ何をきれいごとをいってるんだ!!日本人」という話になりますよね。しかし、たとえばバングラディシュで日本人が学校を作る、何か大きい活動をするっていうときに、大きいものを動かすためにはやっぱり彼らの力が確実に必要なわけです。ということは彼らのことを憎んだってしょうがない。うまくつきあっていかなければならない。
僕はそう思ったんです。だからその大きい力を持ってる人のネットワークをどんどん自分でつけていったとき、二十年後か何十年後かわかりませんが、学校を作ったときに、ずっと繁栄し続けるうまいシステムができあがってくるんじゃないのかなというイメージがあるんです。
●『死に方』を考えた
●「僕がこれから命をかけてやっていくことは何か?」
●とにかくやってみよう
佐藤氏のインタビュー(第一号)は以上になります。
次号も引き続き、ミスマッチジャパン株式会社代表取締役社長、有限会社ボランタス代表の佐藤禎之氏のインタビューをお送りいたします。
みなさま、お見逃しなく!!
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Wrote 2009.07.03 << 前のインタービュー | 次のインタービュー >>