vol.020 水谷 孝次 / Mizutani Koji
水谷事務所代表 URL:http://www.merryproject.com/
1951年3月
名古屋市で生まれる。
1977年
日本デザインセンター
入社。
1982年
東京ADC賞(東京アートディレクターズクラブ)ポスター公告電通賞
1983年
水谷事務所設立。
2000年1月
ラフォーレミュージアム原宿とラフォーレ原宿館内を会場にした写真&ポスター展「Merry at Laforet 2000」を開催。
2001年4月
日英同盟結成100年にあたるこの年、ロンドンのセルフリッジ百貨店で行われた「Merry Tokyo L
こんにちは!テトルの本村拓人です!! 全5回でお届けする水谷孝次さんのインタビュー。 今号は第2回目をお送りします。 日本のトップのアートディレクターとして活躍し、人々を笑顔で繋ぐ「Merry Project」を主催する水谷さん。そんな彼の活動の原点は、なんと3歳の頃の体験にまでさかのぼります。 「もっといい社会にならないのかな?」という、幼心にわきあがった漠然とした思いは、長い時間をかけてゆっくりと彼の中で根をはっていきました。大学卒業を前にした水谷さんの前には、3つの道がありました。ひとつは大学で学んだ電子工学を武器に一流企業に就職する道。もうひとつが、デビューの話も聞かされたミュージシャンへの道。そして最後が、海のものとも山のものとも知れないデザイナーへの道。
彼はそこで、デザイナーへの道を決断しました。なぜ、デザイナーの道を選んだのかは、インタビューをしても、よくわかりませんでしたが(笑)とてもおもしろい人生です。是非読んでみてください。
父親に代わって味わった世間の風は、冷たかった
水谷さんが「Merry Project」をはじめた、きっかけはなんだったのでしょうか
Merryへの想いを語ると、3歳くらいのことまでさかのぼっちゃいますね。1950年代の半ば、まだ終戦からそんなに経っていなかった頃のことなんだけど、僕の父親は戦争でずいぶんとひどい目にあいました。身体がやられてしまって、僕は歩くか歩かないかくらいの頃からずっと父親の目や耳の代わりになり、介護のようなことをしていました。
病院へ行って、傷が化膿しないように何をしなければいけないかを教わったりしたけど、ちっともよくならないわけですよ。手術もたくさんしたんだけどね。そうした中で、世間の風当たりを受けると、なんだか冷たいんです。世の中に対してとか、とくに戦争に対しては、すごくおかしいなぁって思っていました。3つ子の魂百までって言うけど、まさにそれで、ぼんやりとだけどその頃から、もっといい社会にしたいなぁっていう想いがあったんですよね。
気持ちを込めて歌えば、伝わるんだ
その芽生えた想いはその後どうなっていったんでしょうか
まぁ、でもとくに何ができるわけでもなかったから、そのまま大学まで進みました。大学では電子工学を勉強しながら、音楽をやっていたんですよ。当時は70年代で、僕はフォークをやっていました。ボブ・ディランとかね、そういう雰囲気のオリジナルをやったいました。結構いい線まで行って、レコードだって出してたんですよ。
レコードまで出すなんて、すごいですね!
それから、いろんなことを仕掛けたりもしていましたよ。僕は名古屋にいたんだけど、その頃の名古屋って保守的で。だから街をガラッと変えてやろうと、街におもしろい人たちをいっぱい呼んでみたり、綺麗なポスターを作って街の色が変わるくらい張りまくったりしましたね。
グラフィカルなこともやられていたんですか?
ライブをやってましたから、その告知のチラシを作ったりね。全部自分でやりました。僕の父親は絵描きになりたいと思っていた人で、もちろん身体を壊していたからなれなかったんだけど、僕に絵を教えてくれましてね。高校生の頃は、暇さえあれば、マークを作ったりポスター作ったり、ロバート・ケネディについての本を作ったりしていましたね。
人にものを伝える喜びを知っていったという感じなんでしょうか
それを本当に体験したのは音楽でした。当時は、戦争や平和について語るのがファッションで、そういう運動をするのがかっこよかったんです。それで僕も、そのテーマを下地に音楽活動をして女子大をまわったりしていたわけです。
僕は本当は恥ずかしがり屋で、5人の前で歌うことすらも恥ずかしかったのです。ところがある時、2000人くらい入る会場でやることになったのです。安城女子短大というところの講堂ですよ、覚えてますね。人がずらーっと入っていてね。
その日、僕はとても悲しかったのです。社説を読んだら、ロバート・ケネディが暗殺されたって書いてあってね...。
僕、ケネディが大好きだったのです。2曲目にケネディの歌を歌っていたら弦が一本切れてしまって、それでもかまわずに気持ちを込めて歌い続けたら、5人の前で歌うだけでもざわついて聞かせることが大変だったのに、2000人がシーンとなって聞いてくれている。そのときにわかったのです。うまくやろうとする必要なんてないんだ、気持ちが入っていればそれは人に伝わるんだって。この体験はとても大きかったですね。今やっていることも、気持ちを込める、という意味では同じですからね。
大学3年のときに、電子工学も音楽も捨てた
それほど音楽に熱を入れてらしたのに、大学を卒業すると、デザインの道に入られるんですよね
はい。選択枝は3つありました。ひとつは、大学で学んできた電子工学。成績だけはよかったから、教授からも「水谷君のこと、IBMに推薦してあげるよ。」とか言ってもらえたし、両親も「せっかく大学にやったんだから。」と、そっちの道を期待していた。でも、何か違うような気がしてね、選べなかったのです。
それから音楽。音楽については、東海ラジオから「水谷君は、井上陽水よりいいよ!」とか言っておだてられて、本当にデビューの話もあったんだけど、これも向いてないと思ったんですよね。うまくなくても、気持ちで聞かせることはできるってわかったんだけど、そこまで才能があるわけじゃないってことはわかってましたから。
それで、デザインにいったのです。これはもう直観。失敗するかもしれないとは思ったけど、なにより楽しかったんですよね。楽しいと思えることで食えれば、最高かな、と。それで、大学3年のときに、音楽をスパッと辞めて、電子工学からも遠ざかって、デザイン一本に絞ることにしたんです。
●もっといい社会にしたいなぁ
●気持ちが入っていれば、人に伝わる
●楽しいと思えることで食えれば、最高かな
デザイナーになった水谷さんは、破竹の勢いで頂点へと駆け上ります。国内外の賞レースで勝ち上がり、億単位のお金が動く世界へと身を投じた水谷さん。寝る間を惜しんで企業広告を作り続けた彼は、いつしか心身ともに疲れ果てていきます。
なかなか垣間見ることのできないトップクリエイターのおそるべき仕事量に驚いてください!次回乞うご期待!
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Wrote 2009.01.13 << 前のインタービュー | 次のインタービュー >>