vol.021 水谷 孝次 / Mizutani Koji
水谷事務所代表 URL:http://www.merryproject.com/
1951年3月
名古屋市で生まれる。
1977年
日本デザインセンター
入社。
1982年
東京ADC賞(東京アートディレクターズクラブ)ポスター公告電通賞
1983年
水谷事務所設立。
2000年1月
ラフォーレミュージアム原宿とラフォーレ原宿館内を会場にした写真&ポスター展「Merry at Laforet 2000」を開催。
2001年4月
日英同盟結成100年にあたるこの年、ロンドンのセルフリッジ百貨店で行われた「Merry Tokyo Life」のメイン企画に抜擢される。
2001年9月
阪神大震災から6年。震災時に寄せられた支援に対する感謝の気持ちを、笑顔で発信する「Merry in KOBE 2001」を開催。
2003年2月
9.11から1年後のニューヨークでMerryを撮影。六本木とニューヨークをつなぐインスタレーションが開催された。
2005年3月
愛・地球博にて
「MERRY EXPO」開催。
こんにちは!テトルの本村拓人です!! 全5回でお届けする水谷孝次さんのインタビュー。 今号は第3回目をお送りします。 デザイナーの道を選んだ水谷さんは上京し、デザイン事務所を転々としながら腕を磨いていきました。そして国内外のデザイン賞を受賞して、独立。トップクリエイターとして、億単位のお金が動く仕事に着手します。 クリエイターとして、まさに頂点を極めたはずの水谷さんですが、しかしその胸にはいつもわだかまりを抱えていました。「グラフィックデザイナーになってやりたかったことは、コレなんだろうか?」 心身ともにボロボロになってしまった水谷さんは立ち止まり、そして原点を振り返ります。 戦い続けて疲れてしまったとき、みなさんには過去を振り返ることがありますでしょうか?
デザイン会社の合い言葉は「どう、出してる?」
大学を卒業した水谷さんのデザイン人生はどのように始まったのでしょうか?
大学4年の間は、昼間にアルバイトをして、夜はデザインの学校へ通いました。大学3年間で、卒業に必要な単位はほとんど取ってあありましたからね。卒業と同時に上京して、東京の場末のデザイン会社に就職をしました。そこからデザイン会社を転々としていきます。
昭和を代表するグラフィックデザイナーの田中一光さんの所にいたこともあります。最終的に日本デザインセンターに行き着き、そこで日本を代表するような広告の仕事などをやりました。そこにいたときに、第8回ワルシャワ国際ビエンナーレ展特別賞や東京ADC賞を受賞して、そして1983年に独立したんです。
水谷さんのプロフィールを見ると、ものすごくたくさんの賞を受賞していますよね!
それだけ頑張っていた、というのはありますね。日本デザインセンターには、こちらも日本を代表するグラフィックデザイナーである永井一正さんがいらしたりしたんですが、合い言葉が「出してる?」なんですね。どういう意味かと言うと、いろんな広告賞が近づくたびに「応募作品作ってる?」ってことなんです。通常の仕事に加えて、公募作品もみんなが作ってた。
今、僕の事務所の若い連中にも言うんですが、僕は給料が7万円くらいの頃に、自費で100万円使って、ポスター作って賞にエントリーしたりしていたんですよ。印刷所と組んで、お金使って作るわけです。そういうことはしていましたね。
駅貼りのポスターの7~8割が僕の仕事
そして独立して事務所を構えたのが1983年ですね?
それでその後、仕事はすごいことになるわけです。高度経済成長期でしょ。もうね、何億も金が動くような仕事をやってましたね。電通が依頼する外部のデザイン事務所でも、トップの位置にいましたし、ありとあらゆる仕事をしたわけです。
どのくらいやったかと言うと、ある日、僕が電車に乗って駅に降りてみると、ずらーっと駅にポスターが貼ってありますよね、その7~8割がたが僕の作ったポスターなんです。大手家電メーカーの校正刷りを持ったまま、別の家電メーカーに打ち合わせに行ったこともあります。これはまずいね。
それから、事務所に、待機できる部屋が3つあったんだけど、それぞれ、電通、博報堂、東急エージェンシーの担当者が待っているようなこともありましたね。
うわぁ、ものすごい売れっ子ぶりですね!
そして、その極めつけのようなことが起こるんです。大きな企業のキャンペーンを任されて、ハリウッドスターを起用したのですが、もうみんな浮かれてしまっていてね。もちろん僕も一緒になって浮かれてはいたのですが、ほとほと疲れてしまったのです。
むちゃくちゃなことがいっぱいあったんですよ。代理店にとっても何十億っていう売り上げが立つ仕事だから、もうなんでもありでしたね。
それで、僕がデザインでやりたかったのは、こういうことだったのかな?と、改めて自分を見つめ直したときに、すごく違和感を感じました。
そういう気持ちになるものですか
少なくとも、僕はそうでした。でも、グラフィックデザイナーの人は、多かれ少なかれ、同じ疑問は感じるんじゃないかなって思いますね。
もっといい社会を、デザインを通じて作りたい
自分を見つめ直してどのような結論を得たのでしょうか?
僕がやりたかったことは、3歳のときに感じたこと。もっといい社会を作りたいってことだったんです。それをデザインを通じてやりたかったんですね。
社会的な仕事とは、具体的にどういった内容ですか?
たとえば、神戸で震災が起こったら「がんばろう神戸」のポスターを作って募金を集めたりね。 でも面白いことにね、ちょうどこの頃、ベルリンの壁が崩壊したんです。そして、東側の人たちは西側の商業デザインに憧れたような、西側の人たちは東側の社会的なデザインに憧れたようなデザインを作りはじめた。1990年の第13回ワルシャワ国際ポスタービエンナーレ展で、僕は銅賞を受賞したんだけど、社会的なデザインのポスターでした。一方、商業デザイン部門を受賞したのは、ロシアの人。東側の人だったんですね。
●給料7万円の時に100万円のポスターを自腹で作った
●改めて自分を見つめ直したときに違和感を感じた
●3歳のときに感じたことがやりたいことだった
トップクリエイターとして駆け抜けた水谷さんですが、疲れ果て、原点に立ち返る決意をしました。
そしてスタートした人々を幸福にするための「MerryProject」
笑顔のコミュニケーションをテーマにした、このプロジェクトを通じて、水谷さんはその後の人生を決定づける出来事に巡り会います。
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Wrote 2009.01.13 << 前のインタービュー | 次のインタービュー >>