vol.027 【1】倉林啓士郎 / 沼田健彦
株式会社イミオ代表取締役社長/広報ディレクター URL:http://www.imio.co.jp/
倉林 啓士郎(写真右)
2004年7月 東京大学経済学部在学中に有限会社グローバルトレーディングを創業
2004年12月 パキスタンの工場と提携し、フットボールブランド「SFIDA」を事業を開始
2005年3月 東京大学経済学部卒
2005年9月 NEC社会起業塾に選出
2006年4月 株式会社化、社名を「イミオ」に変更 br> br>
沼田 健彦(写真左)
2004年3月 東京大学経済学部卒
2005年4月 株式会社電通入社、以後4年間にわたり、ANA他クライアントの営業を担当
2008年6月 株式会社イミオへ転職、主にPR&イベント業務を担当。
こんにちは! テトルの本村拓人です!!
今号から2回にわたって、株式会社イミオ代表取締役の倉林 啓士
郎さん、
沼田 健彦さんにご登場いただきます。
株式会社イミオのビジョンは、「"意味"を持った"モノ"だからこそ作れる"ブランド"を育て、
ブランドを通じて価値観を伝えていくこと」。
第一回目となる今回は、株式会社イミオの事業内容、
倉林さんが起業を志す経緯に至るまでの道のりをお届けします!
まずは、御社の主幹事業についてお聞かせください。
倉林氏:私たちは"モノ"を通してビジネスを展開しています。
大切にしていることは作り手から消費者まで、
"モノ"に関わる全ての人がwin-winになること。
「イミオ」という社名にもこめられているとおり、
商品に"意味" を持たせて流通させることで、
社会を楽しく、明るくすることをミッションとしています。
ただ、商品を仕入れて供給するだけのトレーダーになりたいわけではなく、
最終的には"意味"を持った"モノ"だからこそ作れる"ブランド"を育て
、ブランドを通じて価値観を伝えていくことをビジョンに掲げています。
会社を始めてまだ3年ではありますが、
最近我々の取り組みや姿勢を好意的に捉えてくださる方が増えてきているように感じます。
海外のデザイナー・メーカーさんや、SONY・TOMORROWLAND・EDWIN・BANDAIなど
国内の有力企業さんからご相談を受けたり、
一緒に仕事をしたりと、少しずつではありますが
インパクトのある仕事ができるようになってきました。
イミオさんの取り扱う"モノ"はどこで売られていますか?
倉林氏:現在は卸売りをメインにしています。
皆さんがご存じの有名百貨店から、カジュアルな店、ハイエンドな店で、
ボールなどは、インテリアショップ、スポーツショップ、全国いろいろな店に卸しています。
卸売りで大切なことは、適材適所で商品を供給すること。
日々バイヤーさんとコミュニケーションを取りながら、自分たちで作る、
もしくは海外から仕入れるなどして、お店に合った商品を探しています。
昨年から直営事業も始めていますが、
今後はブランド発信の場として積極的に取り組んでいきます。
創業の経緯をお聞かせ下さい。
倉林氏:白黒のサッカーボールをパキスタンから仕入れて
販売することから始まりました。
なぜサッカーボールだったのですか?
倉林氏:サッカーボールに出会ったのは、
たまたま新聞で、パキスタンで作られるサッカーボールの記事を見つけたことがきっかけです。
私自身がサッカー少年だったこともあって、
「サッカーボールってパキスタンで作られているのか!?」と興味を持ったことと、
少年がサッカーボールを作っているという児童労働の問題があることにショックを受けたことで、
運命的な出会いを感じたからです。
輸入に関わるノウハウなどは全くなかったのですが、
思い立ったが吉日で、自らパキスタンで工場を見つけて、
何とか先方と交渉し、白黒のサッカーボールを千個くらい何とか輸入してきました。
その時の気持ちをブランド名にし「SFIDA」というフットボールブランドが誕生しました。
SFIDAとはどういう意味ですか?
イタリア語で「挑戦」という意味です。
開発途上国との協働には多くの課題があると思いますが、
御社の場合はそのような課題をどのように解決してきているのでしょうか?
倉林氏:メインの仕入先であるパキスタンのサッカーボール工場は大きな工場なので、
クオリティー自体は、非常に良いです。
スタッフも英語を話すし、コミュニケーションの問題はほとんどありません。
スタッフが毎日メッセンジャーで世間話をしているくらいです。
現在どれぐらいのサッカーボールが流通していますか?
倉林氏: 2万~3万個ぐらいですね。
今はフットサルボールがメインですが、
サッカーボールなど、もっともっと広げていきたいですね。
世界中でSFIDAのボールが見られるようになれば嬉しいですね。
学生時代から企業を考えていらっしゃいましたか?
倉林氏:最初はそれこそ、皆と一緒で、普通に就職活動を行う学生でした。
東大の経済学部に通っていたので、優秀な仲間は外資系のコンサルティングファームを目指す人が多かったですね。
私もビジネスや経営には興味があったので、そういった企業を志望し、
内定をいただくこともできました。
ただ、結果的には当時まだ上場前だったディー・エヌ・エーに就職しました。
ディー・エヌ・エーに出会ったきっかけは?
倉林氏:4年生の就職活動が終わった後、講演会でディー・エヌ・エーの南場社長のお話を聞きました。
それがきっかけで、社長のカバン持ちをやらせてもらえる機会があり、
そこからディー・エヌ・エーに関わるようになりました。
南場社長も、マッキンゼー出身でしたので、社長はもちろん、社員の方たちも優秀な方が多かったです。
にもかかわらず、当時のディー・エヌ・エーの経営状況は赤字だったのでベンチャーの厳しさをこの時期に学んだ気がします。
それでも会社に"夢"があり「デカイことやってやるぞ!」と、
皆さんエネルギッシュに働いていました。
僕もその中で一つのプロジェクトを楽しくやらせてもらい、ベンチャーの魅力に気づきました。
ディー・エヌ・エーにはどのくらいの間いらしたのですか?

倉林氏:4年生の9月くらいから、トータルで1年弱です。
モバゲーの前身のモバオクの事業を現COOの守安さんなどと
3人で立ち上げるチャンスがありました。
「モバイルの時代がくるぞ!」という時期だったので、これはチャレンジングな経験でした。
12月くらいで、内定を断らないと事業を続けてはいけないという話になったので、南場社長とも話し、ディー・エヌ・エーで仕事をすることに決めました。
大学にはあまり行かなくてもよかったので、終電が終わって、
朝の3時、4時まで仕事をして、また翌朝の9時に出社するという生活でした。
終わるころにはメンバーも10人くらいになっていて、
インターン生6-7人も部下に入って、彼らのマネジメントもしながらやっていました。
その間、実は留年してしまいまして・・・というのも仕事に熱中しすぎてしまって、
試験を受けに行くのを忘れてしまったんですね。笑
モバオクのビジネスモデルとしては、画面の中で商品が動いて、
その内の数%が収益になるものでした。
事業運営に熱中はしていたものの、毎日何台もの携帯をいじっているうちに
「この事業が、自分が本当に人生を賭けるべきビジネスなのかな?」という疑問を抱くにいたりました。
自分としては「人生を賭けてやるに値するビジネスをする」と決めていたので、
もっと「本質的なビジネスをしたい」という気持ちが日々強くなりました。
本質的なものですか・・・具体的に言いますと?
倉林氏:そういうビジネスは何だろうと思った時、
当時の潮流であったITという最先端ビジネスの真逆というか、
リアルな、感性とか文化に触れられるような仕事では、と考えました。
すると、自然と"モノ"に目が向いていました。
面白い商品を見つけて来る仕事は、自分の感覚に合うモノに実際に触れ、
それを作った人の顔が見えます。
さらにそれを流通させることで、使ってくれる人の顔も見られる
そういうビジネスが、地味かもしれないけれど自分の本質なのかなと考えました。
先輩たちはITという最先端のことをやっているけれど、
逆に自分がこっちの方向でやっていけば、最先端になるかもしれないと思い立ちました。
昔から一貫してご自身に対する自信はあったのでしょうか?
倉林氏:自信というか
「人がやっていないことをやりたい!」という想いは人一倍強かったかと思います。
●作り手から消費者まで、“モノ”に関わる全ての人がwin-winに
●たまたま新聞で、パキスタンで作られるサッカーボールの記事を見つけた
●この事業が、自分が本当に人生を賭けるべきビジネスなのかな?
株式会社イミオ倉林氏、沼田氏へのインタビュー第一号は以上になります。
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Wrote 2010.10.16 << 前のインタービュー | 次のインタービュー >>