vol.007 玉田雅己
NPOバイリンガル・バイカルチュラルろう教育センター (BBEDろう教育センター)代表理事 URL:http://www.bbed.org/
1960年岐阜県飛騨高山生まれ
1981年国立岐阜工業高等専門学校電気工学科卒
日本電信電話公社入社、NTTを経て、現(株)NTTデータ社員
1999次男1歳10ヶ月にろうとわかり、家族で手話での子育てを決意
2000年ろう者運営デフ・フリースクール「龍の子学園」運営支援
2002年構造改革特区教育特区提案6次提案まで計5回提案
2003年NPO法人バイリンガル・バイカルチュラルろう教育センター(BBED)設立、副代表理事
2004年政府が教育特区提案認める
2005年大田区区民協働推進会議副会長 こども環境学会理事
2007年東京都より教育特区申請政府認可 日本財団CANPANブログ大賞教育賞受賞。
2008年私立明晴学園(幼稚部・小学部)開校 BBED代表理事
NTTデータ社長特別表彰社会貢献賞受賞
2010年明晴学園中学部設立に向けて奔走中
東京都の教育特区として2008年4月、
日本で初めてバイリンガルろう教育を行う私立学校明晴学園が品川区八潮に誕生した。
バイリンガルろう教育とは、書記日本語と日本手話、二つの言語を使って教育を行う方法のことである。
なぜ二つの言葉を使う必要があるのかといえば、教育を行う相手が耳の聞こえないろう者だからだ。書記日本語はいわゆる読み書きのための日本語。それに対して日本手話はろう者同士のコミュニケーションから生れた自然言語であり、(一般的に知られる?)日本語とは文法から異なる別の言語だ。耳で聞いて口で話すことが共通する日本語と英語の文法や単語が異なる言語であるのと同じように、あるいはそれ以上に、日本語と日本手話は別の種類の言語なのだ。
手話という字面から、手だけを使って会話するイメージがあるが、日本手話は頭や表情、肩の動きなど、身体全体を使って意志を伝える。
一般的に、耳が聞こえづらい、あるいはまったく聞こえないろう児は、手話で教育を受けていると思われている。しかしそれは大きな誤解だ。ろう教育の現場では、昭和8年を境に、手話により授業を行うことが法律で禁止された。ろう児はいま、聴覚口話法で授業を受けている。耳で聞くことが得意ではないのに、耳で聴き、口で話す指導方法が採用されているのである。先生は聴者(ちょうしゃ)、つまり耳の聞こえる人だ。これでは授業内容どころか先生が話す言葉も理解できず、学力は低下するばかり。先生と日常のコミュニケーションをとることにも支障をきたすことになる。
明晴学園を設立した NPO 法人バイリンガル・バイカルチュラルろう教育センターの代表理事を務める玉田雅己は、ろうの息子を持って初めてこの事実に直面し、驚きと戸惑いを感じたという。そしてその違和感に気づかないふりをすることなく、粘り強い活動のすえ、手話教育を実践する私立明晴学園を設立した。
玉田はふだん、サラリーマンとして会社に勤めており、 NPO 法人や明晴学園の設立には平日の仕事が終わった後や週末の空いた時間を当てた。限られた時間の中で、これまでの常識をくつがえす学校を作るということは、並大抵ことではない。しかし、決して不可能ではないということを玉田は証明してみせた。
「ひょっとすると息子は耳が聞こえづらいのかもしれない」。玉田家の次男として生まれてきた宙くんに玉田雅己がそんな疑問を抱いたのは、宙くんが1歳10ヵ月の頃だった。心配を打ち消すために病院へ連れて行き検査を受けた。すると医者から思いもよらない言葉が返ってきた。
「『残念ですが、息子さんは耳が聴こえないようです』。病院の先生がそう言ったんですよ。私も家内も大きなショックを受けました。耳が聴こえないと言われても、どうしたらいいのかわかりません。ただ『残念ですが』と言われたことが悔しかった。」
宙くんは耳の聞こえないろう児だった。これまでろう者と関わりを持ったことがなかった玉田は、ろうについて何の知識も持っていなかった。ろうとは一体どういうことなのだろうか? これから宙とどうやってコミュニケーションを取ればいいのだろうか? 途方に暮れる玉田に医者は、地域のろう学校に行って相談するようすすめた。
「医師は、『残った聴力を訓練すれば、しゃべれるようになるかも知れない』と言いました。それで私は、自宅から一番近いろう学校を探して見学してみることにしたのです。ところが、ろう学校で見た子供たちは、私に言わせるとお世辞にも上手に話しているようには見えませんでした。コミュニケーションが成り立っているようには思えません。私は再びショックを受けました。訓練をしてもここまでしか話せるようにならないのかと暗澹たる気分になったのです」。

失意と同時に、玉田は大きな疑問を感じた。それはろう学校で見た授業の進め方である。ろう者は手話でコミュニケーションするのがふつうで、学校でもきっと手話を使って授業が行われているのだろうと考えていたのだが、授業はまるで耳の聞こえる子供を相手にするように、耳で聴き口で話す聴覚口話法が取り入れられていた。その方法がコミュニケーションに弊害をもたらしているのは明らかだった。なぜ、手話で授業を行わないのだろうか。
「いろいろと調べてみると、昭和8年の1月に手話で授業を行うことが禁止されていることがわかりました。耳が聴こえる人は社会における大多数、つまりマジョリティです。耳の聴こえないろう者はマイノリティですね。しかし、ろう者も大人になれば仕事に就かねばなりません。つまり耳が聴こえる人ばかりの環境で働かなくてはならなくなるわけです。そうなったときに、マジョリティである耳の聴こえる人とコミュニケーションできないと困ったことになります。そのため聴者の文化に合わせる事ができるように聴覚口話法が採用されていたんですよ」。
聴覚口話法の普及は日本だけの問題ではなく、世界のろう教育で起きていた潮流だった。また、日本でも偶然、聴覚口話法が非常にうまくいった例が登場したことがその流れを後押しすることになった。しかし問題は、成功例が例外中の例外だったということだろう。聴覚口話法が積極的に推奨されるようになってから、ろう者が聴者のように聞こえ、しゃべれるようになったという例はほとんど見つけられない。逆に数少ない成功例は、がんばれば、ろう者も話せるようになる、話せるようにならないのはろう者の努力が足りないからだモ、という誤解を生む原因になった。また、ろう児を持つ親にとって聴覚口話法は都合が良いという側面もあったかもしれない。日本手話を認めてしまうと、ろう児の第1の理解者でなくてはならない両親は当然日本手話を覚えなくてはならなくなる。日本手話は日本語の延長ではなく独自の言語として考えるほうが正しく、新しい言葉を一つ覚えるのはそれほど楽な作業ではない。できることなら聴覚口話法を覚えて欲しいと願う親の気持ちも、そう考えるとわからなくはない。
「しかし、聴覚口話法ではやはり限界があり、家族と満足にコミュニケーションが取れず、会う時間の少ないお父さんとはほとんど会話したことがないというろう児もたくさんいました。父親なのに我が子と気持ちを伝え合うこともできない。私はそれが我慢できないと思いました。私は宙と、話がしたかった」。
NPOバイリンガル・バイカルチュラルろう教育センター (BBEDろう教育センター)代表理事、玉田氏の第一号目は以上で終了です。
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Wrote 2009.12.06 << 前のインタービュー | 次のインタービュー >>