vol.002 真田 武幸/Sanada Takeyuki
NPOリコリタ代表理事 URL:http://licolita.org/index.html
真田武幸 ソーシャルコンテンツディレクター
1978年浅草生まれ 桐蔭横浜大学法学部卒業後クリエイティヴアダック(株)入社。国土交通省の公共広報企画「東京ジオサイトプロジェクト」などでディレクターを担当。「打ち水大作戦」に触発され秋葉原を舞台にコスプレ打ち水「うち水っ娘大集合!」を展開し評判を呼ぶ。2005年6月に山名清隆氏と㈱スコップを起業。「東京スマートドライバー」などソーシャルコンテンツディレクターとして活躍する傍ら、「NPO法人秋葉原で社会貢献を行う市民の会リコリタ」を立ち上げ、「Myメイドバッグプロジェクト」「秋葉原環境会議」などユニークなソーシャルアクションを展開。アキバオタク文化が生んだ若き社会起業家として注目を集めている。
アニメや漫画、ゲームといったオタクな趣味の世界へ
高校生になった真田は、中学から続けている吹奏楽部に入部した。激しい運動ができないから、活動はどうしても文化系寄りになった。趣味は、アニメや漫画、ゲーム。一緒に行動する仲間も、似たような趣味を持つ連中ばかり。当時楽しかったのは、みんなと連れだって秋葉原や池袋に行き、新しいソフトなどを見てまわることだった。
当時を振り返りながら、「まぁ、オタク少年ですよね」と、真田。「でも、女の子が苦手で喋れないってわけじゃありませんでした。吹奏楽部はほとんどが女子部員で、話しをする機会は多かったし、そもそも吹奏楽部の女子はインドア趣味の子がたくさんいましたから(笑)」。
真田が生まれ育った街は浅草だ。だが、小学4年生と5年生の間は一時的に千葉の療養所で過ごした。持病である喘息がひどくなり療養生活が必要だった。2年ほど自然が豊かな場所で過ごすと喘息は落ち着いてきた。真田は両親に、浅草へ帰りたいと訴えた。これ以上長く浅草を離れてしまうと、もう戻れなくなるかもしれない。中学受験の準備もしなくてはならない。こうして再び浅草へと戻ることになった。
喘息持ちで体が弱かったこと。これが原因で真田はインドアのオタク少年として開眼していくことなる。
天皇制や右翼左翼問題など、社会問題に傾倒した学生時代

高校卒業後は無事に大学に進学。ゼミでは法社会学を専攻した。しかし、遊び好きな学生が多い教室で、真田は浮いた存在だった。仲間とコンパに行ったり、飲みに行って騒いだりすることは好まない。その代わりゼミの研究室に泊りこんで教授の手伝いをすることが楽しかった。法社会学がおもしろくて仕方がなかったのだ。
中2のときにはじめたパソコン通信では、掲示板を通じていろいろな人と語り合った。PCのなかだけでは飽き足らず、知り合った人と実際に外で会うこともあった。小説家志望の人、電通のプランナー......。学校の友達とは違う大人たち。だいたい30前後の人が多く、10代の真田に、彼らの話は刺激的だった。
高校生になってからも書き込みを続ける真田は、そのころにはネット論客としてならすようになっていた。世間では小林よしのりの『ゴーマニズム宣言』がブームになり、オウム真理教の事件が大きなニュースになっていた頃。ネットの掲示板では、天皇制や右翼左翼についてなど、白熱した意見が交換され、真田も熱く書き込みを続けた。
そんな真田にとって、法社会学はとても興味深いものだった。「教授は法学者の河合幹雄さんでした。心理学者の河合隼雄さんの息子さんですね。『アウトローと法社会学』とか、『安全神話崩壊のパラドックス~治安の法社会学~』とか、おもしろい論文を書く人で、その手伝いをしていました」。
けれども、インターネットの掲示板で熱く語られるような議論を、ゼミ生たちと交わすことはできなかった。その手の話をすると、気味悪がられるんですよ。女の子の反応も『フーン』って感じで......」。
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Wrote 2010.02.07 << 前のインタービュー | 次のインタービュー >>